日本福音ルーテル豊中教会
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礼拝メッセージ
(当分の間、毎週更新します)
2024年11月 3日
全聖徒主日
「復活であり、
命である神」
ヨハネによる福音書
11章 32節~44節
全聖徒主日。教会の暦で、天に召されたすべての信徒を記念して覚える日です。聖壇の前には亡くなられた姉妹・兄弟の写真が飾られています。私たちは今から、これらの姉妹・兄弟を偲びつつ、共に祈りの時を持ちたいと思います。
さて、今日の日課は、イエス様が亡くなった友人のラザロを、生き返らせる場面です。
ラザロが病気になったという知らせを聞いて、イエス様はラザロと彼の姉妹たちが住むベタニアの村に向いました。しかし、イエス様が到着した時には、ラザロはすでに四日前に亡くなり葬られていました。姉のマルタと話をしたイエス様は、その後で妹のマリアと話そうとするのですが、マリアはイエス様の所へ来るなり、「足もとにひれ伏し、『主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに』」と言って、泣き始めました。
マリアと一緒に村人たちも泣くのを見て、イエス様は心揺さぶられ、「心に憤りを覚え、興奮して」言いました。「どこに葬ったのか。」と。そして、イエス様自身も涙を流すのです。
私たちもまた、人が悲しみにくれる姿を見るとき、冷静さを保つこ とが出来ずに、悲しみを覚えることがあります。その亡くなった相手との距離が近ければ近いほど、心深く騒がされ自分の中で抑えていた悲しみが込み上げて来て、涙を流すときがあります。
この場面に垣間見えるイエス様の悲しみの深さ、それは、言い換えれば、人の死という厳しい現実に対する、人間の無力さ、愛する人を亡くす喪失の悲しみが、どれほど辛いものかということを、イエス様自身がよくわかっておられたということです。
愛する人が亡くなった時、近しい者にとって、その事実を受け入れるのは、決して容易なことではありません。たとえその人の死を迎えるための準備や心構えをしていても、それで喪失感が薄らぐわけではありません。ましてや急な病であれ、災害や戦争であれ、突然に襲った死は、周りにいる肉親や親しい者には納得のいかないこと、理解するには難しい、不条理な出来ごとに思えるでしょう。
人の死という冷酷なまでに厳しい現実に直面しているからこそ、イエス様も悲しんだのです。マルタが心の内に抑えているであろう悲しみに、あるいはマリアが抑えることもなく表す悲しみに、心動かされて、共に感じ、同じ思いを持って涙を流したのです。
ここでイエス様は決して、「今からラザロは私が甦らせるから何の心配もないよ」と、平然と構えていたわけではなかったのです。
ラザロの死はまぎれもない事実であり、厳粛な現実でした。それゆえに、イエス様がその後で、ラザロを復活させる出来事は、また驚くべき出来事として描かれているのですが、それよりも前に人の悲しみと心の痛みに共感するイエス様の姿は、印象的です。
それは、いわば神様ご自身が、イエス様を通して、今、苦痛や苦しみ、悲しみのさなかにいるその人と共に、泣き、悲しんでおられるということです。さらに神様は、苦痛や悲しみのさなかにあり、打ちのめされている人が、なおもイエス様を信じ、そこに復活の希望を見いだそうとするとき、そこでなされる信仰の告白をしっかりと受け止められ、それに応えてくださるということです。
人々の深い悲しみがその場所を覆っていましたが、そこには、人の死を前にしては、たとえイエス様であっても、なす術を持たないだろうと、考える人々もいました。「『目の見えなかった人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか』と言う者もいた」と、聖書に書かれているように。その言葉を聞いて、イエス様は「再び心に憤りを覚え」ながら、墓の前にやって来ました。そして、墓を塞いでいた石を取り除けるように言いますが、マルタは、「埋葬してからすでに四日も経っているので臭います」と、イエス様を思いとどまらせようとしました。しかし、イエス様は云いました。「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と。そして、石を取り除けさせ、そして、天を仰ぐとこう語りました。
「『父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。』こう言ってから、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれ」ました。すると死者は、「手と足を布で巻かれたまま出て来」ました。「顔は覆いで包まれてい」ましたが、イエス様は、「人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われ」るのです。
これがラザロの復活の物語です。
この奇跡物語は、直接には、愛する人の死を前にして自らも悲しみ、また人々の悲しみに心動かされるイエス様の姿を現しています。と同時にイエス様は、ここで死がラザロを捉えただけでなく、周囲の人々にまで力を及ぼし、彼らの心を無力さで満たしていることに憤ります。そして、人々の悲しみを取り去り、泣いている人々の涙をぬぐわれるために、イエス様は、天にいる父である神様に願い、死者であるラザロの上にいのちを再びもたらすのです。
このラザロの蘇りは、キリストの復活の出来事の先取りとして、また、イエス様の再臨による死者の復活の先取りでもあります。
もちろん、ラザロは、このとき永遠の命を受けて蘇ったわけではなく、寿命を延ばしたにすぎません。しかし、イエス様は、命そのものです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」というマルタに語った言葉は、それを表しています。死は終わりではないのです。
使徒書の日課ヨハネの黙示録21章には、こう記してあります。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
また、預言者イザヤもこう語っています。神様が人々を解放されるときには、「主はこの山で╲すべての民の顔を包んでいた布と╲すべての国を覆っていた布を滅ぼし╲╲死を永久に滅ぼしてくださる。╲主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい╲御自分の民の恥を╲地上からぬぐい去ってくださる。」(25章6~9節)と。
言い換えるならば、イエス様がこの地上に来られたことは、「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる」出来事であり、「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」ことを約束していると言えます。
ラザロは、「顔を包んでいた布」と「覆っていた布を」解かれて、死から解放されるのです。まさにイエス様は、ラザロを取り巻く人々の「すべての顔から涙をぬぐい」取るのです。
天に召された人々は、復活の約束のもとに、神様のみもとで平安の内に憩われています。
「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか。╲それは潔白な手と清い心をもつ人。空しいものに魂を奪われることなく、欺くものに誓うことをしない人。╲主はそのような人を祝福し、救いの神は恵みをお与えになる。╲それは主を求める人。ヤコブの神よ、み顔を尋ね求める人。」
(詩篇24章3~6節)
今年も全聖徒の主日の準備のために、召天された姉妹・兄弟のお名前を書き出していました。そこに記された名前の一つ一つは、その姉妹・兄弟の生きたいのちの証であるといえます。
ここに集っている一人一人が、それぞれに先立って行かれた姉妹・兄弟たち、故人との間に、大なり小なり色々な思い出をお持ちのことと思います。それらの一つひとつは故人の辿った生涯の跡であり、記憶です。その記憶の中で、皆さんお一人お一人が、故人と時間を共有されたことと思います。時間を共有する、それはいわば故人の生涯の一部として、皆さんのお一人お一人が共に生きたということです。そうした思い出は、私たち自身にとっても、また大切なものです。その思い出は、時には私たちを励まし、私たちの人生を支えてくれるからです。
故人を思うことは、その人の人生を思うことでもあります。そして、故人を思い出すことは、言い換えれば、今生きている私たちの人生を思うことでもあるのです。
人々と悲しみを共にしながらも、なおその悲しみから人々を救い出し、「涙を拭われる」主イエス・キリスト。全聖徒主日に際して、私たちは、そのイエス様のもとに集っています。
私たちもまた、死の力を打ち砕き、「目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」イエス様を信じ、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」という約束を聞き来たいと思います。そして、神様から与えられ、また託された命を生きていきたいと思います。先に天に召された姉妹兄弟たちのように、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」というイエス様の言葉を、福音として受け止め、聴く者であり続けたいと思うのです。
2024年10月 27日
宗教改革主日
「死と罪を
越えて」
ローマの信徒への手紙
3章 19節~28節
今日は、宗教改革主日です。十六世紀中部ドイツの一修道士であり、聖書学者でもあったマルティン・ルターによって始まった、当時のカトリック教会の刷新を求める運動、それが宗教改革です。私たちのルーテル教会(ルター派教会)は、このマルティン・ルターの宗教改革の流れをくんだ教会です(ルーテルとは、日本でのルターの名前の古い表記です)。ルターと彼の同志たちの教会刷新と改革を求める運動、宗教改革を記念して覚えるのが、今日の主日礼拝なのです。
さて、今日の日課は、ローマの信徒への手紙3章19~28節ですが、この手紙の別な個所で、著者である使徒パウロは、次のように書いています。
「神の義が示されました。すなわちイエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。」
神の義とは、神様のみ心に「ふさわしい」、そのみ心に適って「よい」、「義しい」と認められることです。パウロは言います。旧約聖書に記され、神様から与えられた律法を守ることで、「律法の行いによって」、人は救われるのではない。なぜなら人は、その律法を完全に守ることが出来ないほど、罪深い存在だから。「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。」 パウロは云います。人の救い、すなわち神様が「ふさわしい」と認められ宣言されるのは、実にこのイエス・キリストを信じることによってである、と。
旧約聖書に記されている律法とは、もともとは今から三千年ほど前に生きていたユダヤの人々に対して、神様に従う生活の道標として与えられたものでした。それは神様と人の間に交わされた一種の契約であり、人と人の間に生じるトラブルを解決したり、人が自由に暮らせるような仕組みのためにもたらされたものでした。しかし、長い時間が経つにつれ、形骸化し、形式的な運用がされるようになります。その結果、人を活かすための規則や仕組みが、人の生活を不自由にさせるように働き始めます。また、律法を守ることのできる人は信心深く、そうでない人間は律法から外れた「罪人」とされたことから、人と人の間に差別が持ち込まれます。イエス様は、そうした考え方、社会の「常識」を覆していきます。律法を守れたか守れなかったかではなくて、ただ神様を信じる信仰、神様に信頼を寄せることが、無償で、何の代価もなしに、その人を救う。神様を信じる時、人は罪赦された者として宣言され、新しい人生を生きることを赦されていく。その人が、信仰によって神様から「ふさわしい」、「私の心に適っている」と認められる、と説くのです。イエス様が説いたのは、この神様への信頼、信仰の回復とでもいうべきことでした。
パウロは、今日の日課の中で、改めてこの「イエス・キリストを信じる信仰」が人を救うことを語っていくのです。「では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」 そして、その神様による救いは、ユダヤ人にだけ制限されるのではなく、「何の差別もなく」、すべての人に開かれている、とパウロは説いているのです。
このパウロの福音理解を再評価し、そこから教会の姿を省みて行ったのが、宗教改革者のマルティン・ルターでした。
今から五百数年前、大学の法学士だったルターは、あるとき、落雷に遭い死ぬ寸前の体験をして、それを機に彼は、アウグスティヌス会の修道士となりました。
ただ、学識があったことから、中部ドイツのヴィッテンベルクという町の大学で聖書を教えるようになります。彼は、修道院に入会した頃から、自分の死と罪、そして罪からの救いの問題を深く考えていたのですが、彼は聖書を研究する中で、次第に洞察を深めていきます。特に、詩篇とローマ人への手紙を読む中で、彼は次のような認識に到達します。人が救われるのは、律法や戒めを守ることや、善い行いによるのではない。律法は、人に自分の罪を指摘し、悔い改めを迫るのであって、それを守ることによって人は救われるのではない。その指摘された罪を悔い改めて、キリストによる救いを信じる者が、神様によって「義しい、(神様のみ心にかなって)ふさわしい」と宣言される。そして、そのとき人は、罪赦された者として、新しい人生を生きることができるのだ、と。
彼のこのような聖書理解は、彼を、当時カトリック教会によって行われていた贖宥状の発行と販売に対する批判へと向かわせていったのです。
私たちが、この地上での生を終えた後、私たちの魂は、どうなっていくのだろうか。魂の救いは、いつ与えられるのだろうか。
実は、中世から近世ヨーロッパに生きた人々も、この問いを前に不安を抱えていました。その当時、キリスト教会は、人が生前に犯した罪が赦されるためには、「悔い改めの秘跡(サクラメント)」が、必要であると考えていました。この「悔い改めの秘跡」は、罪を犯した人の心からの悔い改めと、その罪を告白すること、司祭による赦しの宣言と「償いの行い」から成り立つものでした。人が何らかの罪を犯した場合、人はその罪に応じた形で罰を受け、その犯した罪を償うことを、社会的に求められます(今日の刑法は、それを成文化したものといえます)。教会においてもまた、その罪責の償いが、祈りや断食、巡礼や施しの実践として義務付けられていました。
この罪には、「永遠の死に至る罪」、「神様に対する罪」もしくは道徳的かつ「内面的な罪」も対象とされており、その罪責に対する償いも、場合によっては、またその人の生前のみならず死後も続くと信じられていました。つまり、人がこの世で償いきれなかった罪責は、死後「煉獄」(天国と地獄の中間地点)で、最後の審判が行われ魂が浄化されるまで、一定の期間苦しみで償うと考えられていたのです。そして、当時の人々の多くが、やはりこの「煉獄」への恐れと不安を抱えていたわけです。
この「煉獄」での苦しみという償いの期間を短縮し、あるいは免除してもらうことを、贖宥と云いました。この贖宥が云いだされた十一世紀当初は、十字軍に従軍する軍人たちに罪責の償いの免除として授けられました。しかし、時代を経るごとに、贖宥の適用される範囲が拡大されていきました。そして、聖堂建設や橋や運河の建設、いろいろな戦争の目的のために、贖宥状が販売され、十六世紀には贖宥状販売は、ローマ教皇庁の財政的な収入を賄うための一つの大きな手段になっていました。
一方で人々は、当時(あるいは今も)「自分の過失に対する罰を恐れていたので、それを賠償したい、それも金銭でかたをつけたいという気持ちを持って」いましたし、「死んで煉獄にいる肉親のために恵みをもらいたい」と願う信者も大勢いました。そのため、「贖宥状を束で買うことも」起こりました。人々が持っていた死後の魂の行方に対する恐れと不安。その不安に付け入るような贖宥状の販売。それをルターは、聖書にもとづいて公然と批判したのです。
「真実に痛悔したキリスト者ならだれでも、贖宥の文書なしで、おのがものと定められている、罪と罪責から完全赦免を持っている。」 本来、神様の前で「心から」悔い改めることなしには赦されることのない罪責と償いのすべてが、贖宥状を購入することで、ローマ教皇によって免除されるというのは、明らかな間違いだと、ルターは厳しく批判しました。また、それによって人々は、悔い改めを軽視するようになり、安易な平安のみを求めるようになるだけでなく、贖宥状に金銭を費やすことで、貧しい人々を助けるという愛のわざからも遠ざかるようになる、ともルターは主張しました。
1517年10月31日、彼は、ヴィッテンベルクの城教会の扉に、贖宥状を批判した討論を呼びかける「九十五か条の提題」を掲示しました。
それはほんの小さな討論の呼びかけのはずでしたが、実際のところ、いつのまにかルターの思惑をはるかに超えて、多くの人に知られることとなりました。ただしその結果、当時の政治的な情勢などから、彼の主張はローマ教皇の権威や教会の制度そのものを揺るがすような過激なものと見做され、彼は審問の結果、破門されてしまいます。火あぶりで死刑になっても当然だった彼は、しかし、ローマ法王と教会のやり方に批判的だった封建領主によって保護され、1521年以降、積極的に教会の在り方や制度の改革を行い始め、これが、後に宗教改革と呼ばれる一連の運動へと発展していったのです。
イエス・キリストへの信頼、信仰を持って歩もうとする者を、神様はみ心に適って「ふさわしい」者と見なして、助け導きを与えられる。キリストが私を╲私たちを救い、助け、導くお方であること、キリストが私に╲私たちに恵みを与え、慰め、励まし、支えてくれるお方であることを信じる者が、救われ新しい生き方へと招かれている。「私は彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を止めることがない」とエレミヤ書にあるように。(31章34節)。
イエス様の「神様に立ち戻りなさい」という招き、使徒パウロによる「イエス・キリストを信じなさい」という呼びかけ、それをルターは聖書の中に再発見していきました。
その一方で、ルターは、イエス・キリストの福音が現実の教会の中でないがしろにされ、救いを求めている人々が放り出されている現状を憂いました。また、聖職者と呼ばれる人々が政治的支配者と結託して、あるいは自身が政治的な支配者となって暴利を貪っている現実に憤りました。それゆえ、彼は、教会はイエス様への信仰に立ち返るべきだ、と考えたのです。
宗教改革とは、だから、教会という組織や仕組みを刷新したり、リフォームする(再構成する)こと以上に、教会に集う一人ひとりが神様への信仰に立ち戻っていくことを意味するのです。一人ひとりが、イエス様の福音に思いを巡らして、そこに立ち返って、もう一度自分の人生に向き合い、見直していくことなのです。
そして、宗教改革とは、約五百年前に起こった歴史上の出来事だけを意味しません。私たちが、常にキリスト教の信仰の在り方を反省し、見直すとき、そして、この現代社会において、自分の、そして自分たちの置かれた状況の中で、自らの信仰を告白し、人々を救いと解放へ、自由へと導いていく「神様の正義と公平」を実現しようとするとき、私たちは、宗教改革の精神を生きることができるのです。
2024年10月 20日
聖霊降臨後第22主日
「イエスの
傍らに立つ」
マルコによる福音書
10章 34節~45節
人が、誰か有名人と、例えば芸能人と知り合いだったり、近しい関係にあったりすると、往々にして周りに自慢したくなる気持ちは理解できなくもありません。
ただ、その有名人が、何か権力・権威を持っていたりした場合、その相手との関係を自慢するだけにとどまらないことも起こってきます。例えば、相手が政治家だった場合には、ある人たちは、その政治家との何らかの関係に与ることで(コネクションを築くことで)、自分にとって何らかの便宜を図って貰おう、利益を得ようとします。複数の国で、大統領の身内による不正事件がしばしば問題になることがあります。大統領の権威を借りて、または影響力を利用して、しかも不正な形で、利益を得ようとするわけです。また、大統領の周りには、やはりそこにできた人間関係で利益を求めようとする人たちが群がってもきます。そこで私情による権力の濫用と公私混同とが、簡単に起こってしまうのです。人は、権力者や権威に近しければ近しいほど、公私混同を避けて、慎重に、そして適切に距離を保ちながら、行動することが求められるのです。
今日の日課に登場するヤコブとヨハネが、近い将来にイエス様から何らかの便宜を図ってもらおう、利益を得ようと思って、「あなたが栄光をお受けになるときに、私たちをそれぞれ、あなたの右と左に座らせて下さい」と、イエス様に頼んだとは思いません。むしろ、それはイエス様との関係の近しさゆえの「甘え」であり、極めて無邪気な願いではなかったかと思うのです。
「イエス様が栄光を受ける」ということを、ヨハネとヤコブがどのようにイメージしたのかは分かりません。彼らが、イエス様を単純に政治的な支配者になる方だと思っていたとは言いませんが、イエス様が人々から歓迎され、尊敬され、また称賛を受ける、そして、何よりも神様から「栄光」を受け輝いた姿を取る、そうした何らかの華やかな場面を想像していたことは考えられます。そのような人々の賛美と神様の「栄光」を映し出すイエス様の両脇に、自分たちが腹心の部下よろしく侍る。
ヤコブもヨハネもペトロと共に、山上でイエス様の姿が変わり、出現したエリヤとモーセと共に「栄光に包まれ」たのを目撃していました。また、しばらく前にイエス様が「あなたがたはわたしのことをなんというか」と質問したのに対して、ペテロが「あなたこそキリストです」と答えているのを、彼らは聞いていました。彼らが、イエス様のことを「到来すると約束されていた救い主・キリスト」であると確信していた、としてもおかしくはありません。この栄光に包まれて世界を治めるイエス様の姿は、彼らの想像を刺激したともいえます。そして、そのイエス様を大切に思い、愛するがゆえに、そのイエス様に最も近しい者でありたいと彼らは望み、栄光を受けるであろうイエス様の、「右と左に」侍る者であることを願ったとも云えます。
もちろん、ヤコブとヨハネも三度にわたるイエス様の受難の予告は聞いていましたし、彼らはある種の悲壮感をもって、その受難予告を受け止めたかもしれません。ただし、それが彼らにとって、どれほど真に迫ってくるものであったかどうかは別な問題です。ひょっとすると、ヤコブもヨハネも、イエス様の受難とそれに続く死と復活の予告を、あくまでもイエス様の栄光の姿のいわば導入、序章としてだけ受け取ったかもしれません。そして、半ば空想上の悲壮感であれ、何らかの精神の高ぶりを彼らが覚えたとしてもおかしなことではありません。「私たちは、受難するイエス様についていくのだ。そしてこのイエス様は受難するが、復活して、栄光を受け、この世界に君臨するのだ」と。
ただ彼らの願い事は、イエス様をがっかりさせるものだったようです。このヤコブとヨハネに言い聞かせるように、イエス様は問いかけました。「あなたがたは何を願っているのか分かっていない。わたしが飲む盃を飲み、わたしが受ける洗礼を、あなたがたは受けることが出来るのか。」 イエス様の問いは、イエス様自身が被る受難を、彼らも同じように受けることが出来るのか、というものです。そして、この質問にヤコブとヨハネは、「はい、できます」と答えました。
私たち自身経験することですが、人が高ぶった気持でいるときには、何らかの万能感、なんでもできるという気持ちに支配されることがあります。ヤコブもヨハネもその精神の高ぶりの中で、真面目になんでもできると思っていたのかもしれません。だから彼らは、イエス様に従って苦しみを受けたとしても、自分たちは逃げ出すことはないと思っていたのかもしれません。
しかし、このヤコブとヨハネの答えに、イエス様はこう返しました。「確かにあなたがたは、わたしが飲む盃を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる」と。
それは、弟子である彼らも受難することになるという、すぐそこにある危機の現実を突きつける言葉です。受難が、絵空事ではない現実味を帯びたものであることを見据えた言葉です。「その現実を理解して受けるのなら、受けたらいい」という言葉です。そして、続く言葉はヤコブとヨハネを突き放します。「しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。定められた人々に許されているのだ。」
さて、ここで物語は別な展開を始めます。他の十人の弟子たちが、ヤコブとヨハネのイエス様への個人的な願い事を耳にして、彼らに対して腹を立てたからです。他の十人は十人で、イエス様との関係の近しさをはかる競争で、ヤコブとヨハネに出し抜かれたと感じたのでしょう。これはちょうど、今日の日課よりも前の個所で、弟子たちが「誰が一番弟子たちの中で偉いか」を議論していたことと重なってきます。そのときもイエス様は、彼らに「いちばん上になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と教えているのですが、やはり弟子たちは、彼らがお互いに感じる競争心、他人と自分とを比較して序列をつけることから、決して自由ではないことを、この物語は示しているのです。
こうした弟子たちの姿、なおもイエス様の言葉を理解できない姿に対して、イエス様は彼らを呼び集めて話をされました。
「諸国民を支配しているとみなされている者たち(ローマ帝国)が民の上に君臨して、偉い人たち(高官たち)が権力を振るっている。しかし、あなたがたはそうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。一番上になりたい者はしもべ、奉仕者になりなさい。」
今日の日課では、イエス様の弟子として生きるということについて、大切な二つの姿勢が示されています。
一つは、「わたしが飲む盃を飲み、わたしが受ける洗礼を、あなたがたは受けることが出来るのか」という問いに示されるように、イエス様の弟子であることとは、イエス様の受難に自らも与かることだということ。二つ目は、「『偉くなりたいと思う者』、『一番上になりたい者』は、『皆に仕える者』、『しもべ、奉仕者』になりなさい」ということです。それを端的に表わすのが、イエス様の次の言葉です。「人の子(わたし・イエス)は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人々の身代金として自分のいのちを捧げるために来たのである。」
イエス様の受難と死、それは「多くの人々の身代金として自分のいのちを捧げるため」であり、その姿こそが「仕えられるためではなく(人々に)仕えるため」のものなのだ。だから、弟子であるあなたがたは、「わたしが多くの人たちのために」、「他者のための存在」として生きたように、わたしに従って、たとえ苦難を受けたとしても、同じように生きなさい。
「偉く(大きい者と)なる」、「一番上(第一者)になる」ということは、ここでは、ローマ皇帝のように人々に君臨し、支配して、相手を威圧して屈服させ、権力を振るうことではないのです。「支配する者」が「支配される人々」を、ただ自分の繁栄のためや、自分の欲求を満足させるためだけに利用していくような関係を創ることを意味しません。ましてや華々しく、人々から賞賛を受けたり、注目されることでもありません。
イエス様が語る人の「偉さ」の指標とは、あくまでイエス様の生涯、わざと言葉、受難と十字架に表される姿にあります。貧しさ、餓え渇き、悲しみといった人々が陥っている困難な現実を見過ごすことなく、「人々のため」、「弟子たちのため」、また「私╲あなた」たちのために、イエス様がその命を賭けて「仕えた」生き方にあります。お互いに自分と向き合う相手を活かしていくような生き方が、神様の目に適って「偉い」とされるのです。
「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた人物がいます。ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノ。ウルグアイの政治家で、2010年から五年間、大統領を務めました。彼は、貧しい家庭に生まれ、幼い頃に父親を亡くし、20代の時、貧困などの社会矛盾を変革するために、反政府ゲリラ組織に参加しました。ウルグアイの民主化後は、左派の政治家として活動し、下院議員、農業畜産大臣を経て、第40代大統領を務めました。
彼は、化石燃料や輸入に依存したウルグアイのエネルギーの改革に力を注ぎ、太陽光や風力、水力発電などの再生可能なエネルギー政策を実行しました。大統領や国会議員としての報酬の9割を貧しい人たちに寄付し、また大統領引退後も、農業学校を設立して、青少年たちに農業を教える取り組みをしています。彼は、現代の大量消費社会を批判して、こう語っています。「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲望があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」 彼の全財産は、中古のフォルクスワーゲンとトラクター、そして首都郊外の質素な住居と農地だといいます。
イエス様の目から見た「偉さ」とは、言い換えれば、他者を労わり、思いやることであり、悲しみや憂いを共有することです。重荷や喜びを分かち合うことです。共々に生きていくことです。そのような柔らかい心をもって、お互いに仕え合う、お互いを配慮し合う生き方を私たちが選び取っていくことを、イエス様は私たちに求めているのです。そして、そのように、他の人を支えよう、支え合おうとする姿勢を持つ人、「他者のための存在」として準備をしていく人を、神様は、「偉く(大きい者と)」認められるのです。
「私」が誰かから助けられたように、「私」も誰かの助けになりたいと思います。困難な状況にいる人に向かって、「あなたは一人ではないよ」、「助けはここにあるよ」と呼びかけたいのです。
私たちもまた、教会を訪れるお互いの心労を聞き、互いに祈り、重荷を担い合い、具体的な助けを行うことを続けて行きたいと思います。それこそが、私たち一人一人がキリスト者として、弟子としてイエス様に従っていくことであり、そのとき私たちはイエス様に最も近しい者として、彼の傍に立つことが出来るのです。
2024年10月 13日
聖霊降臨後第21主日
「恵みを
わかち合う」
マルコによる福音書
10章 17節~31節
イエス様のところには、様々な人が訪ねて来て、教えを乞うことがあったようです。今日の日課に登場する金持ちの男性もその一人でした。彼は、イエス様が旅に出ようとされた時、イエス様のもとに駆け寄って跪き、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」と問いかけました。永遠の命、それは人が神様のみもとで生きることを言います。彼なりに思い詰めた問だったのでしょう。しかし、この男性の問いかけに対して、イエス様は最初、素っ気なくあしらいました。「(旧約)聖書に書かれている神様の戒めを守りなさい。」 それはあたかも「永遠の命」についての教えや議論には「自分は興味がない」とでも言いたげですが、同時に「答えはあなたが知っているはずだ。」という言葉にもとれます。「問いを立てる人は、実は(無意識にでも)答えを知っている」からです。つまりは、男性にとっての答え、永遠の命とは、先ずは日常の生活の中で、(ユダヤ教の)律法と戒め、教えをどう生きるのか、ということの中にあるとも云えます。
しかし、この答えに男性は満足しませんでした。「先生そうしたことはみんなこどもの時から守ってきました。」と彼は言い返しました。この彼の言葉は、彼の真面目さを感じさせますが、同時に「自分は律法のなんたるかはよく知っている」という彼の自信ともとれます。言い換えれば、彼はここで、律法を守る以上の、何か特別な、画期的な新しい教え、「安心して」暮らせる教えを知りたいと願っているようです。
イエス様は、その言葉に表れた真剣さ、男性のひたむきさを大切に思って、より踏み込んで答えました。ただしその言葉は、男性の予想をはるかに超えたものでした。「行って、持っている物を売り払い、貧しい人に施せ。それから私に従え。」
このイエス様の言葉は、男性にとっては、衝撃(ショック)でなものでした。真剣に受け止めようとすれば、(少なくとも私には)そのまま聞き流してしまうことのできない難しい要求であり、強烈な響きを持っています。なぜなら男性は、たくさんの資産(不動産)を持っていたからです(おそらくは地主だったのでしょう)。その彼に対して、イエス様は富の放棄を促しているからです。それはあたかも、土地を処分して、貧しい小作農民に与えなさいという奨め、あるいは「今、自分が送っている生活の仕方を変えなさい」と言っているようでもあります。金持ちの男性が、打ちひしがれて、陰鬱な気持ちになり、悲しくなって帰って行ったのも無理はないかもしれません。
そしてこの言葉がさらに衝撃的なのは、それがこの一人の金持ちにだけ向けられた言葉ではないからです。言い換えれば弟子であろうとする者すべてに対して投げかけられた言葉だからです。
この言葉を私たちはどう受け止めればいいのでしょうか。
十二世紀から十三世紀にかけて生きた、イタリアのアッシジ出身の聖フランチェスコは、この言葉を真剣にイエス様からの要求として、率直に受け止めました。彼は騎士に憧れる裕福な商人の息子でした。彼の暮らしていた町アッシジと隣町のペルージャが戦争を始めたとき、彼も従軍しました。しかし、アッシジの軍隊は敗北し、フランチェスコも、一年間捕虜として捕らえられてしまいました。その後、病の床で彼は、イエス様の福音を受け止め、その教え通りの生活をしようとしました。父親の商売の品物を持ち出して売り、その代金を教会に捧げたりしましたが、そのため、彼は父親と対立し、最後には、アッシジの司教の前で、服を脱いで裸になり、その脱いだ衣服を父親に「すべてをお返しします」と差し出し、家族との縁を切り、財産を捨ててしまいます。その後は、彼は、ハンセン病の患者たちの世話をしたり、近隣の教会の修復を行いながら、彼の周りに集まって来た同志たちと、托鉢をして人々の喜捨に頼る新しい修道会「フランシスコ会」を作っていくのです。そこでは清貧がモットーでした。今日の物語にあるような、「すべてを捨てて」「貧しくあること」を地で行く生活をしていくのです。もしも、日課のイエス様の言葉を文字通り、保留条件なしに受け止めるとするならば、この聖フランチェスコのように、私たちも清貧の中に生きるべきかもしれません。
神学者のディートリッヒ・ボンヘッファーは、このイエス様の言葉を、「私に従いなさい」というイエス様の招きから考えます。この場合、清貧に生きること、あるいは資産を売り払うことは、必ずしも「イエス様に従う」ことの条件ではありません。むしろ結果です。なぜなら、たとえば弟子のペテロやレヴィ(マタイ)の召命、招きにそれははっきりと示されているからです。漁師であったペテロは、イエス様の「私に従え」という招きに、網を捨てて、船を置いて、さらにはそこにいた父親のゼベダイまでも置いて、イエス様に従います。レヴィは収税所の仕事を放り投げて、やはりイエス様に従っています。そこでは確かに弟子たちは、「何もかも捨ててあなたに従ってきました。」といえます。しかし、それはイエス様に従ったことの結果です。招きの声に直ちに応じた結果、すべてを捨てるに至っているわけです。大切なのはイエス様の招きの声に、すぐに応えるのか否かだ、ということです。イエス様のその招きに「従順」に応えて、第一歩を踏み出すことが大切なのです。しかし金持ちの男性は、その一歩を踏み出すことに躊躇するのです。
彼が躊躇したのは、現状を変えたくないと感じたからでしょう。おそらくは無意識でしょうが、土地や資産は保持したままで、彼は永遠の命を受けたい、と考えていたからです。いやそもそも彼自身の生活の源泉である資産・土地を手放すなどという発想そのものがなかったのでしょう。なぜならイエス・キリストが生きていた時代、ユダヤ教の考え方の中では、豊かさ、金持ちであることは神様の恵みをたくさん受けている証拠と考えられていたからです。たぶんその時までは青年は、自分がそれほど財産に執着しているとは感じていなかったのではないかと思います。しかし、イエス様に「捨てて従うか」否かを迫られた時、今の生活をまるっきり変えてしまうこと、あるいは壊したり、捨てることは想像できなかった。だから第一歩を踏み出すことができなかったのです。
先に、ユダヤ教では豊かさは神様の恵みをたくさん受けている証拠と考えられると言いました。だから、イエス様が金持ちは天の国にはいるのは難しいと語ったとき、弟子たちは驚いたのです。神様の恵みをたくさん受けているはずの金持ちが、神の国に入れないというイエス様の説明に驚き、「では誰が救われるのか」と問うたのです。今日の物語では、財産・資産は、人々が固執することでイエス様の招きを阻害するもののひとつとして描かれています。
ボンヘッファーは、この財産あるいは富について、「あなたがたが、たとえどんなに豊かな富を備えているにしても、それは他者に与えるために持っているのであって、自分のために何かを手に入れるためではない。すなわち、財産、名声、称賛、あるいは感謝を手に入れるためではない」と書いています。「富は他者に与えるために所有するもの」、言い換えれば、自分たちが持っているものを、人々と分かち合うことが、目的であるというのです。
もし、神様による救いを、神様の意志、神様の正義と公正が、この地上でも実現するのを示すことだとするならば、富を分け合うことは、救いの一つの表れと言えるかもしれません。富は分かち合うものとしてある。それゆえに、金持ちが本当に救われたいと願うなら、自分の持っている財産や資産が本当はどこから来たのかに注意を向けることを、イエス様は勧めているのです。つまり、その富は、その男性が自ら生み出したものではなく、彼が所有している土地で働いている小作農民たちが毎日働いてもたらしたものです。ヤコブの手紙5章で、「御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が叫び声をあげています。」(4節)と書かれているように。
だからこそ、イエス様はその金持ちの男性に、「持物を売り払って、貧しい人々に施せ」と言われたのではないかと思えるのです。
また、金持ちは、「何をすることで、私は、永遠の命を受け継ぐことができるか」を問題としますが、いわば彼の関心は、あくまで彼個人の命の救いでしかありません。しかし、イエス様の視線は、その場にはいない貧しい人たちをも捉えています。貧しい者たちが満ち足りることは、やはり神様が望まれていることなのです。
イエス様は金持ちにとっての一つの救い、永遠の命に至る方法として、彼が所有する富、神様からの恵みを人々と分け合うことを示唆したともいえます。ちょうど収税人の頭であるザアカイが、イエス様との出会いの後で、「財産の半分を施す」と語ったように。富を分け合うことで、金持ちの男性は、実は救いに至る新しい生き方ができたかもしれなかったのです。
ペテロはイエス様に、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従ってまいりました。」と言いますが、それは、あたかも「自分たちは、今ここを去って行った金持ちとは違います。何もかも捨ててあなたに従ったのだから、神の国に入ることが出来るはずです。」と、救いの確かさを確認するかのような口ぶりでした。しかし、その言葉に対して、イエス様は、彼らに次のような約束をしました。「私のために、そして福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供たち、農地を捨てたものは、今この世で迫害も受けるが、百倍の家々や兄弟・姉妹たち、母たち、子供たち、農地を受け、来るべき世では永遠の命を受ける。ただし最初の者は後になり、後の者が先になる」。
ここにある「私のために、そして福音のために」とは、イエス様の招きに従うことです。イエスの招きに応え従うこと、それは福音のために生きる、言い換えればイエス・キリストのように生きることともいえます。イエス様が示す生き方の中に、身を投ずるということです。人が、イエス様に従って生きることを選んだ結果、古いしがらみや関係を失うことになるかもしれません。それは、この世の論理、理屈、価値観とは違った生き方であるからです。その生き方を選ぶことで、人は、この世から嘲笑されたり、時として迫害を招くかもしれません。しかし、そのただ中で、人は新しい信仰による人間関係を築き、生きることができるし、得る物も豊かで多いのです。
それだけに、イエス様に従い一歩踏み出すことが求められています。踏み出す決断と勇気が求められます。たとえそこで自分の持っている物を捨てることになったとしても。
しかし、今日の日課で求められているのは、ただ捨てることではありません。神様からの恵みを他の人たちと分かち合うことです。人が、その神様から受けた恵みを分かち合うという新しい生き方を選ぶとき、人は自分の持っている物、自分の過去を捨てる、あるいは失うようでいて、実は、イエス様こそが、人に活き活きとした命と力をもたらしてくれる永遠の命そのものであることに気づくのです。豊かな人生を歩む道標を手にするのです。
2024年10月 6日
聖霊降臨後第20主日
「神の国を
受け入れる」
マルコによる福音書
10章 13節~16節
SNSなどでたまに目にする議論があります。
電車やバス、飛行機などで、子どもが、特に赤ん坊がぐずってしまって泣いているときに、他の乗客から「うるさい」「迷惑だ」と文句を言われて、子どもの親御さんがどうしようもない暗い気持ちになるというものです。
私も飛行機に乗っていて、子どもがぐずって泣き出した場面に遭遇したことがあります。飛行機は、かなりの高度を飛んでいるわけで、大人でさえ耳の奥が気圧の変化で(?)何か詰まったような違和感を覚えるときがあります。ましてや小さな子ども、赤ちゃんの場合、自分が感じている身体的な違和感を言葉にできない場合、それはもう泣くしかないわけで、子どもが泣くのも無理はないかなとも思います。しかし、一方で、狭い機内で子どもが泣けば、「泣き声がうるさい」と、他の乗客が感じるのも、当然かもしれません。だからと言って、その飛行機を降りるわけにもいきませんし、「うるさい」からと言って、その子どもの口を手で塞ぐわけにもいきません。親御さんたちは気を使って、子どもを何とかなだめようとしているのもわかります。それだけに、子どもの泣き声に他の乗客からクレームがついた話を聞くたびに、何かぎすぎすした空気というか、寛容さのない嫌な感じがしてしまいます。
イエス様一行がエルサレムに向かう旅の途中、イエス様に触れていただこうと、「人々が子供たちを連れて」やって来ました。しかし、「弟子たちはこの人々を叱った」のです。
多くの人たちの尊敬を集めている聖者や預言者が、子どもを祝福することは、聖書にも描かれています。不自然なものではありません。イエス様が生まれてしばらくしてから、両親に連れられてエルサレムの神殿で聖別される場面では、シメオンという信仰に篤い人とアンナという「女預言者」が、幼子のイエス様を祝福しています。神の人と呼ばれたイエス様に祝福してもらえれば、子どもが丈夫に育つと思い、祝福してもらいたいと親が連れて来ることは、自然な感情として理解できます。
ただ、それらの親たち以外にも、イエス様の所にはたくさんの人たちが訪ねてきていました。イエス様に触って悪霊を追い出してもらいたい、病気や障がいを癒してもらいたいと、あるいは何か教えを聞かせてもらおうと、たくさんの人たちがイエス様を訪ねてその場所にやって来ていた。そんな大勢の人たちへの対応で、弟子たちは、忙しさを感じていたのかもしれません。このとき、弟子たちは、子どもを抱えてやって来る親たちに煩わしさを覚えて、「邪魔だからあっちに行け」と追い払おうとしたのかもしれません。
ひょっとすると、弟子たちは「イエス様は偉い人なんだから、子どもの祝福なんてことで手を煩わせるなよ。」と思っていたかもしれません。
いや、それこそ、弟子たちが親たちを叱りつけた時、それまで大人しくしていた赤ん坊が、弟子たちの声を聞いて、泣き出し始めたかもしれません。弟子たちが、「あぁ、もう、うるさい」と思ったかもしれません。
「女こども」という言い方があります。女も子どもも、いわば取るに足りない、足手まといな存在という意味を持ちます。一人前の大人扱いされない存在。弟子たちの中に、母親たちや子どもたちを軽んじる気持ちがなかったとはいえません。だから、彼らは、その人たちを「𠮟った」のだと思うのです。
しかし、イエス様はこの弟子たちの振舞いを見て「憤り」、口調も強く弟子たちに言います。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」イエス様は、その親たちの心情を理解し、受け入れています。その子どもを愛しく大事に思う気持ちをむげにしてはいけないと思っています。と同時に、大切なことを語っています。「神の国はこのような者たちのものである」と。子どもたちのような存在が、「神の国」を受け継ぐというのです。
このイエス様の語る「神の国」については、父と子どもの関係からも考えることもできます。
ルカによる福音書の中で、イエス様は、「主の祈り」と呼ばれる祈りの文言の最初に、神様に向かって「アッバ、父さん」と呼びかけています。ユダヤ教の伝統の中では、神様は確かに「父なる存在」ですが、天におられる崇高な存在であり、決して日常会話の言葉づかいで「父さん」と呼びかける対象ではありませんでした。
しかし、イエス様は、「アッバ、父さん」と呼びかけます。つまり、イエス様にとっては、神様との関係は、人々があるいは自分が日常生活の中で、子どもが父親に向かって「アッバ、父さん」と呼びかけるような親しく信頼に満ちた温かいものだということです。
子どもたちを見て、神の国はこのような者たちのものなのだ」とイエス様が語ったとき、そこにはこどもが「アッバ、父さん」と呼びかけるような神様との親しい関係を見たのかもしれません。
大切なのは、イエス様は、現実のユダヤ社会で軽んじられているような子どもの存在を、「神の国」に入ることのできる基準としたということです。
その上で、イエス様は言います。「はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 そして、子どもたちを抱き上げてから、手を置いて祝福されたのです。
さて、この「子供のように神の国を受け入れる人」という文章、実は、ギリシャ語の文法的には、「神の国を、子供を受け入れるようにして受け入れるのでない者は、そこに入ることは出来ない。」と訳すこともできるのだそうです。つまり、内容的には、先々週の礼拝で読んだ日課、イエス様が一人の子どもの手を取って、弟子たちの真ん中に立たせて、更に抱きかかえて言われた言葉、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」とも関係してくるわけです。
繰り返しになりますが、「受け入れる」という言葉は、対等な立場で、対等な権利を持つ者として相手を尊重するという意味ですし、言い換えればそれは、「拒絶しない」、「拒否しない」ということです。「子供を受け入れるようにして」とは、それこそ、たとえ泣いている子どもであったとしても、面倒くさがらずに、鬱陶しがらずに、その保護を必要とする一人の子どもを、かけがえのない存在として、大事に思う、尊重するということです。
そして、ここでいう「子供」とは、社会的に保護を必要とする立場にいるあるゆる人々を、いわば代表する存在だということです。人は神様の前では、誰でもが尊重され、社会的に軽んじられてはならない存在であるということなのです。
イエス様の、「神の国はこのような者たちのものである。神の国を、子供を受け入れるようにして受け入れるのでない者は、そこに入ることは出来ない。」という言葉は、人が神の国に入ることを願うのならば、そうした社会的に保護を必要とする人たちの尊厳を守り、大切にすることが条件になると語っているのです。
キリスト教詩人の八木重吉の作品に、「みんなもよびな」という詩があります。
その詩の中で、「あん あん あん」と「なく」「あかんぼ」は、「なぜに」「なくのだろうか」と問う詩人は、その赤ん坊の「あん あん あん」と泣く声が「うるせいよ」と思われたとしても、それは「かみさまをよんでいるんだよ」、だから、「うるさか ないよ//うるさか ないよ」と詠い、「みんなもよびな//あんなに しつっこくよびな」と読者に呼びかけています。
「泣く子どもは迷惑」と思うか、それとも「それは『かみさまをよんでいるんだよ』」と考え、「泣くのが子どもの仕事だからね」と優しく受け入れるか、私たちに問われているのです。
福音書の中でイエス様が語る「神の国」。
それは神様が支配する世界であり、例えば「山上の説教」が示すように、貧しさやひもじさに泣く者が慰められ、満ち足りるようになり、憐れみを受ける世界です。柔和で憐れみ深く、心の清い人たち、平和を実現する人たちが受け継ぎ、神様を間近に見ることのできる世界です。
あるいはまた、神様の正義と公正が「天上で行われるように地上でも実現し」、人が虐げられずに苦しむこともなく、一人一人が自尊心を傷つけられずに、温かく守られ、不安を感じることのない世界です。それは、互いに傷つけあうことのない、生命を大切にされる状態を言います。また、病気や障がいが癒され、不自由さがなくなり、人と自然が調和し、安らぎを覚える世界です。
ある意味、聖書を通して描かれる「神の国」のイメージは、人が現実の世界で経験している大変さ、苦しさ、もしくは悲惨さとは真逆の世界を言うのかもしれません。人が生きている現実が厳しければ厳しいほど、「神の国」への込められた期待は大きくなり、人が抱く一つの大きな願い、理想の姿として思い描かれるのです。「神の国」は未だ実現していない一つの理想です。しかし、それは現実の世界に抗い、この悲惨な現実を変えたいと願う人の最大限の希望を表している。とするならば、その「神の国」は求め続けられなければならず、理想は現実に変えられねばならないのです。
聖書は、私たちに「まず神の国と神の義を求めなさい」と語ります。また「主の祈り」の中で、「神の国」の到来を祈ることが勧められます。私たちは「神の国」の到来、理想の実現を真剣に願うことを神様から求められているのです。
人々がこどもを、憐れみと慈しみをもって受け入れるような世の中にしていくことが、神の国を迎え入れる備えになるのです。
2024年9月 29日
聖霊降臨後第19主日
「塩を保つ」
マルコによる福音書
9章 38節~50節
弟子の一人ヨハネが、イエス様にこんな報告をしました。「自分たちのほかに、イエス様の名前を使って悪霊を追い出し、癒しを行っている者がいたので、やめさせました。弟子の私たちに従わなかったからです」と。
イエス様の生きていた古代ユダヤ社会は、人の名前に力が宿っていると考えられていた時代ですから、「イエス様の、あるいはその弟子の真似をして、『イエス様の名によって』癒しを行ってみよう」、と思った人はいたでしょう。一方、なんとかして病気や障がいから解放されたい、癒されたい、とり憑いた悪霊を追い出してほしいと願う人たちはたくさんいたはずです。いやむしろ、そうした癒されたいと願う人たちがいたからこそ、「イエス様の名によって」癒しを行ってみよう、そう思った人が出て来たのかもしれません。
しかし、ヨハネは、この行為をやめさせました。そこには、弟子たちが持っていたある種の感情が反映しているように思えます。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、生活を共にした経験によって生まれた仲間意識というものがあります。ただ、それは時として仲間意識を通り越し、ある種の身内意識にまで発展することもあります。
イエス様の弟子たちも、そういった感情を持ったとしても、おかしくありませんでした。イエス様から「ついて来なさい」と誘われて、それまでの自分の生活を捨てて、その言葉に従い、三年に満たないものであったにせよ、イエス様に付いてガリラヤ地方を巡る宣教の旅を続けた弟子たちの間に、自分たちはイエス様の身内だという意識が生まれたとしても、不思議ではありません。
その上イエス様は、大勢の群衆の注目と期待と尊敬を集め、奇跡を起こし、悪霊を追い出し、律法学者たちを論破する、まさしく神の人であり、自分たちはそのイエス様から、直々に弟子として選ばれ、身内同然になったのだという誇らしい気持ちは、一方である種の優越感を生み、「身内」と「身内ではない者」とを分け隔てする意識を、弟子たちの内に生じさせることになっていったのかも知れません。
ですから、たとえばイエス様と特別親しい間柄にない見ず知らずの他人が、イエス様の名を使って癒しを行っていることは、弟子のヨハネにとっては、図々しいことに感じられたのかもしれません。あるいは、そんな関係のない人物が、イエス様の名前を使って癒しを行い、直々の弟子である自分たちよりも、人々の注目や賞賛を受けることに対して、嫉妬の感情があったかもしれません。または、弟子である自分たちに断りもなく、イエス様の名前の持つ力を勝手に用いることへの反感だったかもしれません。「イエス様の名前による悪霊の追い出し」は、自分たち直系の弟子たちだけの専売特許だという「特権」意識を、弟子たちがどこかで持つようになっていたのかもしれません。
ひょっとすると、ヨハネは、ある種の「秩序」を考えていたともいえます。つまり、イエス様の周りには、「イエス様から直接声をかけられ弟子になった自分たち」がいる。その周辺には、イエス様を信じて従って来た群衆がいる。その集団の中では、「直接の弟子たち」が指図をする存在になっていて、群衆は、その指図に聴き従わなければならないというわけです。弟子たちの指図に聴き従わない者は、イエス様の力を信じているとしても、「秩序」を乱す者であるから、だから、その行為がたとえ「悪霊の追い出し、癒し」であっても、止めさせるべきである。そんな感じなのでしょうか。それこそ弟子たちの「権威的な」態度を感じます。
何れにせよ、「イエス様の名前による癒し」を止めさせたヨハネの判断には、癒しを求めている病気や障がい、悪霊に苦しんでいる人たちの想いは勘定に入っていません。ヨハネにとって、「イエス様の名前によって」悪霊が出て行ったという事実はどうでもよいことで、彼が問題にしているのは、あくまで、「自分たちに従ったか従わなかったか」、「誰に『イエス様の名前の力』を用いる資格があるのか」ということです。「イエス様の名によって」救われた人がいることが、いいことなのだ、というふうには思っていないわけです。ヨハネの、そしておそらく他の弟子たちの料簡の狭さが、ここにあります。
このヨハネの考え方の狭さに対してイエス様は言われます。
「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」
イエス様は、実際に「悪霊を追い出し、癒しを行っている」ことと、「それが自分(イエス)に反対するものかどうか」で判断するようにと、弟子たちに語るのです。
たとえ、イエス様自身が知らない相手であっても、イエス様に反対せず、「イエスの名によって」癒しを行っているのなら、そして、実際に悪霊から解放され、癒される人たちがいるのなら、その人を止めてはならない。癒しの行為は止めさせてはならない。なぜなら、その人は味方であり、その行為は良い結果を生んでいるのだから、というのです。
そして、イエス様は、弟子たちに「一杯の水を飲ませてくれる人」の存在について語ります。「キリストの弟子であるという理由で」水を飲ませてくれるとは、弟子たちに親近感(シンパシー)を持っている人を表します。その人は、「一杯の水を飲ませ」ることで、弟子たちへの親近感、自分たちの仲間だという気持ちを表した、ただそれだけで、神様からよい報いを受ける対象となる、と言われるのです。
弟子の群れに加わったからとか、あるいはその行為を弟子たちが認めて祝福したから、といったことが、神様の報いを左右するわけでありません。イエス様の名を信じる人々の行為そのものが、神様の評価の対象となっているのです。
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、石臼を首にかけられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」。
「わたしを信じるこれらの小さな者」とは、イエス様に親近感を持ち、将来福音を広め、神様による癒しを行うために一緒に働いてくれるだろう人々のことを指しています。イエス様の名による癒しの行為を抑え込んだり制限しようとする弟子たちの料簡の狭さは、そのような「わたしを信じるこれらの小さな者」をかえってつまずかせたり、遠ざけ排除することになる。そのことは重い罪である。そうイエス様は語っているのです。
イエス様は、さらに続けて、その罪が重いことを極端な表現で語ります。「片手」や「片足」が罪を犯すなら切り捨てよ。「片眼」が罪を犯すなら抉り出せ。人の具体的な行為や「まなざし」、すなわち人が抱く意識、「思いと言葉と行い」によって、他の人をつまずかせたり、離反へと追いやることは、地獄の火、罪人への罰としての炎の中に投げ込まれるくらい大きな罪なのだと。
イエス様はそれゆえ、「自分自身の内に塩を持ちなさい」と言われるのです。
「人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。」
塩は、生ものが腐敗することを防ぎます。そして、神殿に捧げられる穀物が、塩で「味付けされる」(レヴィ記二章一三節)とあるように、人は「火と聖霊」によって洗礼を施され、「塩味をつけられ」聖なる者とされるのです。
「誰が一番偉いか」という議論を始めて、互いに優劣をつけたり、「誰が弟子であり、誰がそうでないか」というある種の優越感を持つことは、その集団を当初の目的から逸らさせるばかりでなく、人をつまずかせ、伝えるべき福音をも無効にしてしまう、つまり「腐敗」させていくことにつながる。
だからこそ、キリストの弟子であり続けるために、「自分の中に腐敗を防ぐ塩を持つ」ことが奨められているのです。そして、自分たちを腐敗から守る「塩」は、イエス・キリストの言葉とわざ、その生涯と十字架と復活の出来事です。味を失った塩とは、イエス様を「信じるこれらの小さな者」への配慮を欠いて、イエス様自身が示している「他者に仕える生き方」から離れてしまうことです。
他人をつまずかせる罪に陥らないためにも、自分自身が福音から逸れて外れてしまわないためにも、何度でもイエス様の信仰に立ち返り、自分自身を見つめ、反省することが、「自分自身の内に塩を持つ」ことなのです。
教会もまた一つの人間の集団である以上、そうした人間の持つ料簡の狭さが簡単に生じてしまうことから自由ではありません。
日本には、プロテスタント教会だけでも二百以上の教派・教会があると云われています。そうした教会の伝統や慣習は長い時間をかけて出来上がってきたものですが、時代の流れの中では、変化を求められることが多々あります。しかし、その伝統や慣習をいつもイエス様の福音に立ち返って充分に反省することなく、ただ守ることだけに固執してしまうと、その教会は、多様な信仰の在り方をお互いに理解し、協力して福音宣教を行っていくどころか、柔軟さを失ってしまい、「権威的に」人々に臨んでしまうことになってしまいます。
しかし、教会は、本来様々な個人史や背景を持った人たちに開かれた場所です。またそれぞれの教会が置かれた場所や地域で、個別の課題を担ってもいます。だからこそ、聖書もキリスト教信仰も、教会の伝統や慣習も、会衆同士の関係も、社会の在り方や時代の変化を踏まえて、常に見直されていかなければなりません。また、変化していっていいことと、どのような時であっても、変えてはならないものを見極めなければなりません。
そのときこそ、イエス様の弟子である信仰者一人一人は、自分の中に「塩」を持つことが必要になります。人々の多様な生き方に対する寛容さを保つため、そして自分の中の思い上がりや、自分たちこそが正統だという勘違いを戒めるため、他の人をつまずかせていないかどうか、親近感を持つ人たちを遠ざけていないかどうかを測るその「塩」を保つことが必要なのです。
「たがいに平和に過ごしなさい」とは、私たちがイエス様の御心を行っているかどうかを基本にしながら、お互いを謙虚に認め合い、そして寛容に尊重し合って、支えあう集団として、この世界で歩んで行くことです。
私たちの「思いと言葉と行い」が、神様によって聖別され、用いられ、福音の力として働きますように。
2024年9月 22日
聖霊降臨後第18主日
「こどもを
受け入れる」
マルコによる福音書
9章 30節~37節
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
この言葉は、イエス様と一緒に福音宣教の旅をしていた弟子たちが、途中で「誰が一番偉いか」について議論していたことに対して、イエス様が語ったものです。
ただその議論自体は、大したものではなかったようです。というのは、イエス様の「あなたがたは途中で何を論じ合っていたのか」という質問に、弟子たちは(おそらくは)ばつが悪くてみんな黙っていたからです。たぶん、「誰が最初に、弟子になったか」、「誰が兄弟子か」程度のたわいもないことかもしれません。あるいは、せいぜいお互いへの評価を議論して、弟子の集団の中でメンバーの順位付けをしたのかもしれません。でもイエス様は、彼らが何を論じ合っていたのかに気づいていました。それで、彼ら弟子たちを呼び寄せると、イエス様は話し始めました。
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と。
ある意味、集団の中で、自分の能力や業績がどのように評価されているか、自分の順位はどのくらいか、自分は何番目の地位を占めることができるのか、を知りたいという気持ちが働くことは、自然なことかもしれません。生まれも育ちも違う弟子たちですが、一年以上も旅を続けているわけですから、少しずつでもお互いのことは判ってきます。性格や立ち居振る舞い、話し方や言葉遣いも、考えていることも明らかになってきます。そうすれば、おのずと自分と誰かを比較することも出て来るでしょう。「これこれのことは、俺は得意だが、あいつは苦手だ」とか、「あいつにできて、俺が出来ないのはなぜだ」とか、はたまた「あいつはイエス様から褒められたけど、俺は褒められていないな」とか、それこそ余計なことも含めて、色々比較したりする気持ちが湧いてきて、「誰が一番偉いか」の議論に至ったのだと思われるのです。
しかし、この議論に対するイエス様の言葉、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」は、逆転の思想ともいえます。
先ず、優先順位が逆転しています。「いちばん先」になろうとする者、先頭を行きたい者は、後回しになる。後からついてくる者が優先される。具体的な弟子の日常的なあり方として読むならば、こう読めるかもしれません。「最初の弟子であるならばなおさら、一番遅く弟子になった者の面倒を見なさい」、「先に習った者は、慣れていない者によく教え、何事も慣れていない者を優先させて、教える者は最後にしなさい」と。しかし、弟子のより根本的な在り方として読むならば、それは、先駆者としてのイエス様という生き方、受難と十字架の死、そして復活というその生涯を念頭に置いてこの言葉を捉える必要があります。つまり、先を行く者、先駆者は、その生き方を通して、後から来る者のために道を開くのだということです。
そして、二つ目には、仕える者であれ、というものです。
リーダーシップをとって、先頭に立って突き進む者、競争に勝って突き進む者が偉いとはされないのです。
「仕える」ということは、相手を支えること、助けてサポートすることです。もちろん、自分の気持ちや意思を相手に押し付けることには、慎重でなければなりません。相手の立場を尊重し、その人の望むことに適切にこたえていくことでしょう。「仕える」ことは、その相手を自分と同じ人として尊重していくことで成り立ちます。「お互い様」という気持ちがなければ、「支え合う」気持ちも生まれません。
「すべての人に仕える者になりなさい」とは、「謙虚になって、すべての人の面倒をよく見る者になり、その人たちを支えてあげなさい」ということでもあり、またイエス様が人々の命を生かすために、その生涯と命を賭けられたように、弟子である者も人々に仕えなさいということを意味していると言えるでしょう。
さてここで、イエス様が一人のこどもの手を取って、弟子たちの真ん中に立たせて、更に抱きかかえたことは、たいへん重要なことです。それは、「すべての人に仕える」在り方を、具体的に示すことだったからです。そして、この時イエス様が語ったのが、説教の冒頭で触れた言葉でした。
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
「受け入れる」という言葉。本来の意味は、「(客を)迎え入れる」とか「集団に受け入れる」、あるいは「理解する」、「大切にする」ということです。対等な立場で、対等な権利を持つ者として相手を尊重するという意味です。それはまた、言い換えれば「拒絶しない」、「拒否しない」ということです。「このような子供の一人を受け入れる」とは、面倒でうざったいとか、鬱陶しがらずに、そのこどもと向き合うことを意味します。もちろんのことですが、いろいろな大人がいるのと同じように、いろいろな個性を持ったこどもたちがいます。彼らも様々な成育歴を持っています。そうしたこどもたちと向き合うことを、イエス様は、「すべての人に仕える」一つの具体的な在り方として示したのです。
この「こどもを受け入れる」ということ、つまり、保護を必要とするこどもを、一人一人がかけがえのない存在として、尊重されるべき一人の人間であると考えることを、それこそ具体的に生きた一人の人がいます。
ヤヌシュ・コルチャック。彼は、1879年7月22日にポーランドに生まれたユダヤ人で、小児科専門医でしたが、また児童文学の作家としても著名でした。三十代の初めにユダヤ人孤児院の院長に就任しましたが、彼は孤児院での臨床的な働きや活動を通じて、こどもをよく理解し、「こどもは、すでに一人の人間である。」という思想に基づいて、こどもたちの権利を主張し、こどもを社会全体で保護し、教育の機会を与えることを訴えてきました。20世紀初頭まで炭坑や工場で児童労働が行われ、しつけの名のもとに児童虐待が行われていた当時にあっては、コルチャックの思想は非常に斬新なものでした。
第二次世界大戦が始まって、ポーランドがナチス・ドイツ帝国に占領されると、彼も孤児院の子どもたちと共に、ワルシャワのゲットー(ユダヤ人の隔離のための地域)に隔離されますが、1942年8月にトレブリンカ絶滅収容所に送られ、孤児たちと一緒に殺害されました。しかし、彼が主張した「こどもの権利」の思想は、戦後ポーランド政府を通して国連で議論され、1989年に制定された「こどもの権利条約」・児童憲章に結実しています。
そしてこの「一人一人の存在を尊重する」ということは、こどもだけにとどまりません。今の私たちの社会が、どれほどの人々に対して、「~できない存在」として対等な価値を認めてこなかったでしょうか。障がいの有る無しで、あるいは「学歴」や「職歴」というもので、人の存在そのものを軽んじてこなかったでしょうか。近代ではこれに「働ける」か「働けない」か、という基準が付け加わります。競争や能力主義がその基準になってきました。
しかし、イエス様は、この日課で、神様の前では人間の価値に違いは存在しないということを示しています。人は、誰でも社会的に軽んじられてはならない存在であることを示しているのです。そして、「わたし(イエス)の名のゆえに」、「このようなこどもの
一人を受け入れる者は」、イエス様ご自身を受け入れ、また、それは神様を受け入れることだ、と宣言したのです。
複数の人間が競い合いながら研鑽を積んでいくこと、他人と自分を比較しながら他人と競い合うことは、一概に悪いことでもありません。「他人の振り見て、我が振り直せ」とも言います。他人は、実は自分を映す鏡でもあります。他人と比べることで、「私」は自分の状態を省みて知ることが出来ますし、そこから自分をさらに高めていくことにもつながります。
しかし、他人と自分を比べて、優劣をつけ序列をつけ始めたら、注意することが必要です。時として、人は、現代で言う「マウントを取る」、つまり自分が相手に対して優位な立場にいることを、相手や周囲に示す行為をし始めたりもします。それは相手を見下すことですし、傲慢です。人は往々にして謙遜さを失い、優位にある者が威張り散らすことも引き起こしてしまいます。あるいは反対に、その優劣や序列に気後れして、自信を失い、卑屈になってしまうことも問題です。それだけに、私たちは注意しなければならないのです。「誰が一番偉いのか」を議論することに対して。
ある人はこういっています。「誰が一番偉いか」という議論はその集団を破壊する、と。確かに、集団の中では序列が付けられることもあります。しかしそれは、その人が負うべき責任の重さ軽さに由来するものではあるかもしれませんが、その人間の「かけがえのない価値」とは本来違うものです。
「誰が一番偉いのか」を決める基準は、実は私たち自身にはありません。それを判断するのは、イエス様だということです。その基準は、今の社会で当たり前ととられている「モノの見方」や価値観、競争や能力主義ではありません。あくまでイエス様の生涯、そのわざと言葉、受難と十字架がその基準です。
だからイエス様は奨めているのです。それでもどうしても「誰が一番偉いのか」を決めたいのなら、「仕える者になりなさい」、
一生懸命支え合って仕える者になりなさい、と。
「先の者が後」になること、「仕える者」になることを、イエス様は、自ら十字架にかかられることで弟子たちに示されました。
それは、イエス様が弟子たちを、また私たちを大切に思われた、愛されたからです。イエス様は私たちを愛しておられます。その愛に私たちも応えたいと思います。
今私たちに求められているのは、だれが一番偉いかを競うことではない。お互いをかけがえのない存在として、大切にし合い、助け合うこと、支え合うことなのです。イエス様が愛してくださったように、私たちも互いに愛し合い、仕えあい、尊重しあいたい、と思います。
2020年8月2日 (平和主日)
「平和の基」
ヨハネによる福音書
15章9節~12節
イエス様は、逮捕されて十字架に架けられ処刑される前に、弟子たちと共にとった食事の席で、告別の説教をされました。今日の日課は、その告別説教の一部です。
ここでイエス様は、弟子たちに先ず、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」と勧めます。次に、イエス様の「愛にとどまる」方法が明かされます。それは弟子たちが、イエス様の与える「掟」を守ることだと言うのです。
その「掟」とは、何でしょうか。それは、弟子たちが「互いに愛し合い、お互いを大切にする」ことだとイエス様は言われます。しかも、イエス様ご自身が弟子たちを愛されたように。またその前提として、イエス様から弟子たちに向けられた愛は、父なる神様がイエス様を愛するのと同じものだと、言われているのです。
イエス様は、弟子たち一人一人を大切に思い、受け入れ、「愛され」ました。
イエス様の言葉や教えをなかなか理解することができなかった弟子たち。しかも、イエス様が逮捕された後、否認したペテロをはじめとして、彼らは捕まるのを恐れて、逃げて姿を隠してしまった。にもかかわらず、イエス様は復活の後、弟子たちを再び集めると、イエス様の教えと「福音」を伝え、癒しのわざを行わせるために、聖霊を与え、派遣していくのです。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
それは、人が互いに尊敬を持ちあうことです。相手の存在を認めていくことです。また、お互いに、相手の負っている問題や課題といった重荷を担い合うことです。労苦を分かち合い、理解し合い、互いのために祈り、心身共に支え合おうとすることです。
あるいは「他者のための存在」として生きるということです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
人々の負債を贖うために、自ら十字架に架かるという仕方で愛を示されたイエス様に倣って、弟子として、キリスト者として生きていくことです。自分の人生を通して、神様の愛を示すことです。そして、「神様の正義と公正」が地上で実現することを求める生き方をすることです。
イエス様が示してくださった生き方、それは一つの理念とも言えるかもしれません。
「お互いに愛し合いなさい。」「あなたの敵を愛しなさい。」「あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。」
それらの言葉は、今現代の人間の厳しい現実の前では、無力にも感じられる時があります。今も昔と変わらずに、暴力が横行し、憎しみが連鎖する時代です。その中では、イエス様の言葉は、何の歯止めにもならないようにさえ感じる時があります。
しかし、イエス様はその生涯を通して、その「理念」を貫かれました。その頂点が十字架であり、復活であったわけです。そして、そのイエス様から力をいただいて、例えば、マーチン・ルーサー・キングは、黒人の人権のために、解放のために、「公民権運動」を闘って行きました。幾度も暗殺の強迫に曝されながら。
もちろん、注意しなければならないことはあります。
「互いに愛し合いなさい」という言葉を、人が狭い意味で理解するならば、単に自分たちの「仲間内のことだけ」を意味することに終わってしまいます。そうすると、自分の「仲間」でない者を、差別したり、排除することに簡単につながってしまいます。
最近の、黒人が警官に殺害された事件の後に起こった抗議のデモと、そのとき掲げられた「黒人が生きることは重要だ」(Black lives Matter)というスローガンは、「公民権運動」から六十年も経過したのも関わらず、アメリカ社会の中で、黒人がいまだに社会の周縁に置かれている、あるいは「二級市民」としてみなされている現実を表しています。
と同時にそれは黒人だけに限られたことではなくて、ヒスパニック系の人たち、アジア系の人たちにも当てはまることでもあります。移民や難民という形でアメリカで生活している人たちの多くが、「黒人が生きることは重要だ」(Black lives Matter)というスローガンに共感しているのは、その事実を示しています。
「キリスト教」が建国の理念になっているはずのアメリカで、「互いに愛し合いなさい」というイエス様の教えが、特定の人種の仲間内でだけ通用する言葉になっていないかどうか、考えてしまいます。
「わたしがあなたたちを愛したように、お互いに愛し合いなさい」
日本の教会もまた、同様の問題を抱えています。私たち自身が、「お互いに」という言葉を、意識してか無意識のうちにかは別にして、仲間内にだけ限って使っていないかどうかは、省みる必要があるかもしれません。
「わたしがあなたたちを愛したように」という言葉は、なによりも、何ら条件なしに、そのままの私/あなたをイエス様が受け入れ、その思いと願いを聞き、「あなたは私の目に尊い」と認めてくださったということを意味しています。あるいは私/あなたの「罪」、「負債」、「重荷」から、私/あなたを解放し、自由にしてくださったことを意味します。そのようにイエス様から「大切にされた、愛された」私たちが、どうして私たちの出会う相手を、条件づけて制限したり、差別したり、はたまた排除することが赦されるでしょうか。
「わたしがあなたたちを愛したように、お互いに愛し合いなさい」
この言葉の意味を、何度も繰り返し、しっかりと噛み締めることが、キリスト者として生きようとする私たちには、必要であると思うのです。
私たちは、毎年この季節に、平和主日の礼拝を守ります。
それは、一つにはかつて起こった戦争を振り返り、その犠牲者を弔い、祈るためにです。そして、二つ目には、今の世界が平和になることを祈るためにです。
なぜなら、平和とはいえない世界が現実にあるからです。
日本社会は、そこで暮らす人々が、まだまだ安心して暮らせない状況にあるからです。
昨年の平和主日の際に、日本福音ルーテル教会では、社会委員会が作成した「平和への派遣を求める祈り」を、全国の教会で祈りました。
そこでは、次のような祈りがささげられました。
「平和をつくり出すどころか、現実から目をそむけ、平和から遠ざかろうとするわたしたちを強めて、わたしたちを平和のために遣わしてください。」
「軍備を増強し、特に沖縄では基地を拡張して、戦争が出来る国へあゆんでいこうとする力があります。」
「道徳の教科化をはじめ、教育によって子どもたちの心をコントロールし、偏狭な国家主義へと導こうとする力があります。」
「移民や難民の人たちを、ともに暮らす仲間として受け入れず、権利や尊厳をうばったまま、弱い立場に押し込めておこうとする力があります。」
「性的マイノリティであるために、社会から排除されたり、傷つけられたり、生きにくさを負わされている人たちがいます。」
「民族、国籍、宗教、また性別や障がいなど、異なった背景をもつ人たちに対する憎悪をあおり傷つけることによって、何かを守ろうとする人たちがいます。」
「原子力発電所の存在と事故のために、放射能の苦しみの中におかれた人たちがいるにもかかわらず、なお脱原発にむかえないでいる現状があります。」
「わたしたちが心を閉ざしている多くの課題があります。わたしたちが、知るべきことを知り、語るべきことを語り、変えるべきことを変えていくことが出来るように、わたしたちに勇気を与えてください。そうして、わたしたちとこの教会が、正義と公正にもとづく平和をつくりだすことができるように、あなたが、わたしたちを遣わしてください。平和の主、イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン」
「現実から目をそむけること」も、敵の存在を想定して「軍備を増強すること」も、「イエス様が愛されたように、お互いを愛すること」にはなりません。「偏狭な国家主義を唱えること」も、「移民や難民の人たち」や「性的マイノリティの人たち」を、「ともに暮らす仲間として受け入れず、権利や尊厳をうばい、弱い立場に押し込めておこうとすること」も、「お互いを愛すること」ではなくて、「社会から排除し、傷つけ、生きにくさを負わすこと」でしかありません。ましてや、「民族、国籍、宗教、また性別や障がいなど、異なった背景をもつ人たちに対する憎悪をあおり傷つけること」は、平和をもたらすことにはならないのです。
平和を創り出す者とは、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩む」者である、と聖書は語ります。「イエス様が人々を愛されたように、人がお互いを愛すること」を平和の基として生きたいのです。
人の尊さを守り、神様の前に謙虚になって、イエス様が示してくださった姿勢と、その信仰に立ち返ること、それが平和を生み出していくのです。
「どうか私たちを平和の器として用いてください。」アーメン
2020年7月26日 (聖霊降臨後第8主日)
「天の国の実現」
マタイによる福音書
13章31節~33節
+44節~50節
イエス様は、福音書の中で、「神の国」あるいは「天の国」について、いくつものイメージを、譬えの形を取って示しています。因みに、ここで語られる「天の国」は、神様が支配される世界のことを言います。では神様が支配する世界とは、どんな世界なのでしょうか。
私たちは、「主の祈り」の中で、「み国を来たらせて下さい。み心が天においてと同じように地上でも実現しますように」と祈ります。ここでいう「天」とは、神様のみもとのことで、いわば神様の意図する世界が「天」では実現している。その神様の「み心」が実現している「天」がこの地上に到来して、神様の創造された全世界・全宇宙が「神様の正義と公正」、「神様の愛」に満たされるようにと願うことです。それが、「み国が来ますように」という祈りなのです。
イエス様が語る「天の国」。ただ、そこには、具体的に「天の国、神の国はこのような世界です」という言い切った形では、その姿は描かれてはいません。ほとんどが譬えで、漠然と示す表現でしかありません。今日の日課も、そうした譬えとして語られた「天の国」についてのお話です。
先ずイエス様は、「天の国」を「からし種」に譬えています
「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
そこには、豊かなイメージがあります。本当に小さなからし種が畑に蒔かれて、芽を出して成長すると、大きな樹になっていく。その樹の上に鳥が巣を作る。
からし種は、いのちを秘めています。それは、成長して育っていく樹のいのちです。
讃美歌21に収められている、「球根の中には」という曲があります。
「球根の中には 花が秘められ、/さなぎの中から いのちはばたく。/寒い冬の中 春はめざめる。/その日、その時をただ神が知る。」
球根から花が咲くのも、さなぎの中から蝶が羽化するのも、それは、球根そのもの、さなぎそのものが秘めているいのちの力です。その力がどこから来るのかを人はまだ知りません。
からし種は、ゴマよりも小さな種です。それが大きな木に育つ。その種の中には、木のイメージがすでに組み込まれているわけです。その不思議さを思います。それは自然が起こす奇跡です。
次にイエス様は、「天の国」を「パン種」に譬えています。
「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
人類の歴史上、小麦が栽培され始めたのは、紀元前一万五千年から九千年前といわれています。発酵させたパンが登場するのは、紀元前四千年から三千年前。それもエジプトで偶然誕生したようです。イエス様も、母マリヤが小麦粉に酵母を混ぜて捏ねていくのを見ていたのでしょう。そして焼かれた、発酵したパンを食べていたことでしょう。
パンを膨らましていく酵母・「パン種」。小麦粉と混ぜ合わされることで、パン生地を膨らましていく。小麦粉に「パン種」を混ぜるとどうして膨らむのか、一九世紀になるまで、その仕組みと理由は科学的には解明されていなかったといいます。
パンが発酵するのは、酵母(パン種)が、小麦粉の中の糖を取り込んで炭酸ガスとアルコールを発生させることで起こるといいます。でも、そのパン種・酵母が持っている力の源、酵母菌のいのちは、やはり謎といえば謎です。これも自然の起こす奇跡です。
「からし種」と「パン種」の譬え。どちらも表しているのは、いわば「天の国」の持つ、いのちの力です。「天の国」は、それ自体が生命力を持ち、小さなものから大きな存在へと自分から成長していくのです。そしてそれは、人が無理やり成長させたり、発酵させたりすることのできないものでもあるのです。
また、「天の国」は、「からし種」や「パン種」の譬えが示すように、豊かさをもたらします。樹の上で鳥が憩うように、他のいのちを養います。また、「パン種」は自分の姿を消しますが、小麦粉に作用して、生地を大きく膨らませ、そしてそれは、人を養うものへと変化していく。「天の国」、それはいのちをつなぐものでもあるかもしれません。
「天の国」、それはいのちに満ち溢れた世界を言うのかもしれません。樹々が生い茂り、その枝々で鳥が囀り、日の光がやさしく降り注ぎ、静かさと平安に満ちた世界。
もちろん、そこは貧しさや格差のない世界です。人が生まれや職業で差別されることのない世界です。
そこでは誰も泣くことがなく、傷つくこともなく、笑顔で過ごすことが出来ます。その世界は慰めに満ちて、傷ついた人が癒される世界です。一人ひとりがその存在を認め合い大切にする世界です。もちろん、戦争や争いのない、平和に満たされた世界です。
もしも、そのような世界に出会ったとしたら、たぶん私は何をおいてもその世界に住みたいと思うでしょう。
44節から続く「畑の隠された宝」と「真珠」の譬えは、このような「天の国」の持つ価値の大きさを表しているといえます。
二つの譬えとも、「農夫」と「商人」が、それぞれ価値のある何かを見つけるわけですが、一方は畑に埋まっていて、偶然、予期せぬ形で、しかも予想もしていなかった者の前に姿を表す「掘り出された「宝」であり、他方は「商人」が必死になって探し求めて、ようやく見つけ出される「真珠」という具合に、見つけ方は異なっています。しかし、どちらの譬えでも、「天の国」を見出した人々のとる態度は同じです。
つまり、その「天の国」は、それを目の当たりにした人々が、それまで培ってきたもの全てに匹敵するぐらい、あるいはそれを投げ出してもあまりある価値を持つものとして、姿を表す。あるいは、それぞれが持っている「天の国」のイメージや期待を、はるかに超えるものとして、姿を表すのです。
イエス様が描く「天の国」の豊かなヴィジョン。いのちが生き生きと活かされていく世界の実現。そのような「天の国」が、この地上に実現してほしいと願わざるを得ません。そんな世界が来ることを私は望みます。
現在の世界を眺める限り、そうした世界を望むことは、空想に近く、絵空事に響くかもしれません。生活の格差や不平等、貧しさや失業、飢餓に泣く人たち、苦しむ人たちがいます。病気や障碍を抱えた人たちが、まだまだ安心して暮らせない現実があります。むき出しの暴力が横行し、人がお互いに尊厳を保障され、平和に暮らせない世界がまだまだあります。
しかし、現実の世界がそうではないからといって、よりよい世界が実現することを思い描くのを、あきらめる必要はない。そう聖書は語っています。私たちには、天の国を求めることが許されているし、何よりも、天の国が来るという、神様の約束のもとに生きているからです。
「天の国」のヴィジョンが、私たちに与えられています。神様が望まれるような、人と人との関係や社会を造り出していくこと、イエス様が示された生き方を生きようとすること、神様が創造された世界・環境を守り保っていこうとする働き。それらはすべて「天の国」のヴィジョンを望み見るものです。
日々の暮らしの中で、この世界が良くなること、自分たちの環境や境遇が変化すること、そして、人の命を守り、育てていくことを望んでいる人たちがいます。実に、「天の国」の始まりは、そこここに、実に私たちの生きているすぐそばにあります。
「天の国」の成就は、福音書によれば、「球根の中には」の歌詞に詠われているように、「その日、その時をただ神が知る」のです。ですから、私たちもまた、「世の終わり」のその時まで、「天の国」が実現することを祈り、その兆しを見つけたいし、あきらめずに、求めていきたいと思うのです。
2020年7月5 日 (聖霊降臨後第5主日)
「生き直すということ」
マタイによる福音書
11章28節~30節
人が自分の人生を生きるということは、なかなか大変なことです。自分が思い描いたようには、人生の歩みは進まないのも事実です。常に順風満帆ということはあり得ません。大なり小なり、問題に直面します。そうした問題は、自分で招いたこともあれば、向こうから勝手にやって来るようなこともあります。
競争を強いる社会の中で生きなければなりません。ストレスも感じます。生活の心配があります。病気の心配もあります。何かの生き辛さを抱えて、いじめや差別を受けている人がいます。ある人は、家族関係の葛藤や問題を抱えています。またある人は生きがいが見つからずにいるかもしれません。いろいろな理由で周囲から孤立し、孤独を感じている人がいるかもしれません。
行き詰って袋小路に迷い込んだり、思いがけない失敗の前で、頭を抱え込んでしまう人がいるかもしれません。
生きる上で抱えてしまう様々な心配や課題は、誰にでもあるというわけです。
「わたしのもとに来なさい。労し、重荷を負ったすべての者たち。そうすればこのわたしが、あなたたちに安らぎを与えよう。わたしの軛(くびき)をとって自分に負い、わたしから学びなさい。なぜならわたしは柔和で心が低く、あなたたちは自分の心に安らぎを見出すであろうから。わたしの軛は担いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
今日の日課は、イエス様の招きの言葉です。
軛(くびき)は、家畜(牛や馬、ロバなど)をつないで、畑を耕すための農具や荷車などを引かせる道具のことです。通常、二頭の動物を左右に並べて担わせます。
ユダヤ教の世界では、この軛(くびき)を、知恵、もしくは律法の譬えとして用いてもいます。旧約聖書外典のシラの書には、「足に知恵の足枷をかけ、首に知恵の首輪をはめよ」(六:二四)とか、「軛の下にお前の首を置き、魂に教訓を教え込め。知恵はすぐ身近にある」(五一:二六)という言葉があります。
つまり、「律法を学び、預言者の言葉に耳を傾け、また共同体の長老たちの言葉を心に留めなさい。父祖が重ね培ってきた経験から教訓を学びなさい。それは、生活に指針を与え、平安をもたらすだろう」ということです。ユダヤ人の共同体が、生活する上で必要な共通のルールであり、お互いの自由と生命を保障するもの、それが律法と伝統の知恵、「軛」として譬えられているのです。
ではイエス様の言葉は、この軛としての伝統の知恵を学べと語っているのでしょうか。模範的に律法に従えと勧めているのでしょうか。ここで注意したいのは、イエス様が「わたしの軛をとって自分に負い、わたしから学びなさい。」と語っていることです。
「わたしの軛」とイエス様が語る時、そこでは律法学者や祭司といった人たちが理解してきた律法や伝統とは別の軛、「知恵」、生活の規範がイメージされています。そして、それは「柔和(謙虚)で心が低く」、「担いやすく」、「軽い荷を」運ぶものだといわれるのです。
旧約聖書の律法は、はじめユダヤ人の共同体が、特にエジプトの支配から脱出して、カナンの地(パレスティナの土地)で農業を営み、腰を落ち着けて生活するために、共同体に属する一人一人が、お互いの自由と生活を保障しあうルールとして、神様から与えられたものでした。それはまた共同体の結束を強めて、助け合うためにも必要なものでした。律法とその解釈の伝統は、ユダヤ人社会に生きる人々の行動の判断の基準となっていったのです。
ただ、法律や規則は常に二面性を持ちます。共同体の自由を保障する一方で、共同体のメンバー一人ひとりの生活を束縛する側面も持つからです。律法と解釈の伝統が積み重なり、微に入り際にわたり人々の日常生活に適用されだすとき、それはよりはっきりとなってきます。そして、人が規則や伝統、慣習から逸脱すると、それは共同体の中で罪とされ、咎められたり、罰せられることになっていくのです。
イエス様の目には、このような律法と伝統が、多くの人たち、特に貧しい人たちにとって、生活する上でも、気持ちの上でも、重荷になっている、と映るのです。日々の暮らしの中では、必ずしも律法や細かな規則を守ることが出来ないことも起こります。生活上止むを得ない営みの中で、たとえば「安息日」や「清め」の規定を守らなかった、あるいは守れなかった人々が、律法学者や祭司たちによって、罪人として非難される。イエス様は、そんな律法学者や祭司たち、高い教育を受けた「知恵ある者や賢い者」たちを批判します。
本来人を自由にすべき宗教が、人を不自由な存在においている、と。「人は律法のために生きるのではなく、人が生きるために律法があるのだ。」という福音書の中のイエス様の言葉は、その批判をはっきりと表しています。
イエス様が招きの言葉で用いられる軛という言葉は、一方では人に対して課せられる負担や隷属した状態をも表しています。そして、イエス様は、この招きを通して、先ず何よりも、こうした人々に負担や隷属を強いる律法やこの世(当時のユダヤ人社会)の尺度から、人々が自由になること、解放されるべきことを語っているのです。
と同時に、この世界で生きていくために、この世の尺度に代わる別の軛、生活の規範、つまり新しい生き方を、イエス様に倣って身につけて行きなさいということを示しています。
「わたしの軛をとって自分に負う」こと、それは、イエス様が自ら示した生き方を生きるということです。
それは、たとえばイエス様がそうであったように、「飼う者のない羊のような有様」の人々を見て、はらわたの底から痛みを感じ、人々の感じている痛みや苦しさを、取り除けようとすることです。
それはまた、「互いに愛し合いなさい。大切にし合いなさい」とイエス様が弟子たちに勧められた生き方です。人が互いに尊敬を持って、相手を敬い、大事にすること、愛し合うことをいいます。また、お互いに相手の負っている問題や課題といった重荷を担い合うことです。労苦を分かち合い、理解し合い、互いのために祈り、心身共に支え合おうとすることです。
あるいは「他者のための存在」として生きるということです。人々の負債を贖うために、自ら十字架に架かるという仕方で示されたイエス様に倣って、弟子として、キリスト者として生きていくことです。自分の人生を通して神様の愛を示すことです。そして、「主の祈り」にあるように、神様の正義と公正が地上で実現することを求める生き方です。
またこうも言えます。「イエス様と一緒に軛を担うこと」とは、古い自分をイエス様の前に素直に投げ出し、また明け渡していくことです。自分と人とに向き合う新しいあり方を身に着けていくことをいいます。それは知識や学識、知的な理解によるのではなく、神様の前に謙虚になり、「幼子のように」自分の感情を正直に認め、受け入れることから始まります。それが自分の心を縛っている古い価値観や先入観、偏見などから自由にされ解放されていくことにつながるのです。そのとき、私たちは、イエス様から示される「柔和で心が低く謙遜な」生き方を見出すことが可能になるのです。
イエス様が呼びかけていること、それは、様々な困難な状態にいる人たちに、あるいは何かの生き辛さを感じて問題を抱えている人々に、「わたしに従って、自分の人生を生き直しなさい」ということです。新しい価値観を持って、世界を新しい目で眺めて、歩みなさいということです。
「わたしのもとに来なさい。労し、重荷を負ったすべての者たち。そうすればこのわたしが、あなたたちに安らぎを与えよう」。
この言葉は、そうした問題や課題を抱えた人たちにこそ向けられています。
生き直すことはできます。人が、イエス様の示す新しい生き方に従うとき、「イエス様の新しい軛」を背負っていくとき、誰にでも、いつでも、その可能性は開かれています。目の前の課題や問題、困難はこれからも続くでしょう。でもその大変さをイエス様は、その「イエス様の軛」を負う私たちと一緒に、分け合いながら担い続けてくださいます。
だからこそ私たちは安心して信頼し、それこそ「安らぎを覚えながら」、私たちの人生の道を、それこそ「生き直す」ことができるのです。
だから、自分を変えたいと思い、自分の道を見出したいと思っている人は、イエス様の招きの声に耳を傾けていいのです。
2020年6月28 日 (聖霊降臨後第4主日)
「あなたが花束」
マタイによる福音書
10章40節~42節
「花束」という歌があります。サンボマスターというバンドが、歌っています。歌詞の内容は、次のようなものです。
歌い手は、「あなたに」花束を届けたいと歌います。
「この花束を あなたに贈りたいんだ」/「この花束を 今すぐ届けたいんだ」と歌います。
それは、その相手を励ましたいからです。
「あなた」は、泣いているんでしょうか。落ち込んでいるんでしょうか。どんな状態にいるのかは分かりません。でも、歌い手は、「あなた」が「アスファルトの固さを つき破りだして/のびてく草木のように 強い君だったはずさ」と信じています。
歌い手は、「あなた」が「ぬくもり取り戻せる人」であり、「愛しさ抱きしめる人」だと「昔から気づいていた」のです。「あなた」のもともと持っている強さを信じています。だから「くよくよするなよ」 と、「あなた」に呼びかけるのです。その「あかしに」花束を、「いろんな色の」花束を贈りたいというのです。
歌い手にとっても、たぶん「あなた」にとっても、今まで歩んできた人生は、「たくさんのさびしさ悲しさを/抱きしめ」て、「たくさんの捨てちまいたい/夜を数えた」ものだったようです。けれど、それを歌い手は変えたいと思っています。
「あなた」に花束を贈ることで、歌い手はその状態が変わると信じています。
「今あらたな 想いがうまれそうさ/今あらたな 想いがうまれそうなのさ/気づかずに過ごしてきたのさ 今まで」。
その気づかずに過ごしてきた「あらたな想い」を伝えるために、花束を「あなた」に送りたいと思うのです。「まだ間に合うだろうか いやきっと間に合うはずさ」と期待を込めて。
歌い手は「この世には たくさんのさびしさ悲しさが/あふれてるけど それでも生きようよ」と、「あなた」に呼びかけます。花束はそのあかしなのです。
そして、次に、実はその「あなた」自身が、歌い手にとって花束である、といいます。「あなた」の存在そのものが歌い手「わたし」にとって、花束なんだと歌います。
「あなたは花束 さびしさにさよなら 大丈夫なんだから」「あなたは あなたは 花のように咲きほこる人」「あなたが花束」と。
この曲のプロモーションビデオの中で、「今あなたが花束を贈るとしたら、誰に贈りたいでしょうか。」という質問が、それこそ、いろんな人たちに向けてなされていました。
いろいろな答えがありました。「妻に」、「お母さんに」、「亡くなった母に」というのもありました。また「成人した妹に」、「認知症で頑張っている母に」、「この間結婚した友人に」、そして「死んでしまった犬に」というのもありました。
自分を支えてくれた人、存在に対して感謝の気持ちを、あるいは励ましを伝えたいと思う。だから、花束を贈りたい。
そのとき、その想いの詰まった花束は、ただの花束じゃなくなります。想いを伝えたいと願うその人自身をその花束は表している。そして、もしその人が、自分自身で花束を届けるなら、その人自身が花束になっていく。
「あなたが花束」になっていくのです。
「あなたがたを受け入れる人は、わたし(イエス様)を受け入れ、わたしを受け入れる人はわたしを遣わされた方(神様)を受け入れるのである」(40節)。
今日の福音書の日課が示していること、そこには、二つの意味があります。
ひとつは、派遣される弟子たち、「あなたがた」を受け入れる人は、イエス様を受け入れるということを意味し、またそれはイエス様を遣わされた神様をも受け入れるということを意味するのだというのです。別な言い方をするならば、弟子たちは、イエス様の代理であり、また神様の代理にもなるというのです。それはまた、弟子たちと共に、キリストが、そして神様がおられるということをも意味します。
そして、この弟子たちは、派遣された場所によって、様々な役割や務めを託されています。
「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。」(41節)
「預言者」も「正しい者」も、弟子たち中で、異なった務めを担っている者を表しています。人が、その務めを担っている人を尊敬(リスペクト)の思いを持って受け入れていくとき、人は、神様から「報い」、つまり祝福と恵みを受け取るといわれています。それは、次の言葉にも表されています。
「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(42節)
この場合、弟子は必ずしも信仰の強い人、信念のある人、信仰深い人を意味しません。「小さな者」という表現は、その働きにおいて目立たない人であるかもしれません。世間の目からは、目立たない小さな務めをコツコツと果たしている人かもしれません。でもその「小さな者」を気遣い、ささやかな助けを与える人には、神様からの恵みと祝福が与えられると福音書は語ります。
弟子たちに向けて人が行ったことは、実はイエス様に向けて、あるいは神様自身に向けて行ったことになるからなのです。
二つ目の意味は、派遣される弟子たちが、神様からの手紙だということです。
使徒パウロが、コリントの信徒への手紙二の3章2~3節でこう書いています。
「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、私たちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です」。
パウロは、誰かが書いた推薦状よりも、コリントの教会の人々、同じ信仰に支えられている会衆・信徒の姿こそが、パウロの行った宣教のわざを具体的に表現し、他の人々に対してパウロを推薦してくれているのだと語っています。コリントの教会員の生き方そのものが、推薦状となると語っているのです。
福音書の日課に戻れば、ですから弟子たちは、いわばイエス様と神様からの生きた手紙そのものだということです。
もちろん、だからといって、この場合、弟子たちが完全な存在であるという意味ではありません。
たとえば文字で書かれた言葉には、ある種の限界があります。ラインやメール、ツイッターなどは、言葉足らずになりがちで、誤解を生じることもあります。書き言葉は難しいと思います。その言葉を発した人の表情が見えないし、言葉に込められた思いの一部しか伝わらないもどかしさもあります。それでもていねいに書き綴られた手紙の文章は、書いた人の心を表します。
生きた手紙である弟子たちもまた、ある種の限界をもっていました。弟子たち一人一人の性格の違いもあるでしょう。育ってきた環境や経験も違いました。それぞれの言葉遣い、態度や振る舞いも違ってきます。まったく同じではありません。弟子たち一人一人が違った形で、異なったやり方で、イエス様の言葉とわざとを伝えていくことになります。熱く語る弟子もいれば、静かに穏やかに伝える者もいるでしょう。訥々(とつとつ)と話す者もいたかもしれません。でも、大事なのは、弟子のそれぞれが、彼ら自身が、生きた言葉なのだということです。手紙に書き手の個性が出るように、弟子のありようそのものが、伝え手である弟子の個性が出た手紙であるといえるのです。
弟子たちが神様からの生きた手紙であるとするならば、それは、現代の教会、私たちも同じです。私たち自身の存在が、そのままイエス様を表すことになるのです。私たち自身が神様からの、この世界への生きた手紙であるのです。
教会の私たちを見て、この世は、判断します。キリストの愛が、神様の心が何であるかを判断するのです。私たちもまた、この社会に、この世界に派遣されています。イエス様から、神様から、この世界に届けられる「花束」として。世の人を労り、慰め、勇気づけ、また神様の愛を伝えるために。
それが、弟子の使命です。
どうか現代の弟子である私たちが、イエス様が示す道を歩み、また神様のみ心に適った言葉とわざを行えますように。
2020年1月26日
「天の国は近づいた」
マタイによる福音書4章12~18節
韓国の詩人、金明植(キム ミョンシュク)さんが書いた「共に生きる町」という詩があります。
共に生きる町は ないんですか 共に生きる町は ないんですか
共に平和をつくり 共に生きる その町で
平和の花を植え 花のかおり共に かぎながら
貧しいものもなく 地位の高いものもなく その町で
平和の糧食共に 平等に分かち合い 小さな美しい夢を育てる その町で
私たちの労働が お祭りになる その日に向かって
共に生きる町 小さくても 美しい町
共に生きる町は ないんですか 共に生きる町は ないんですか
教えてください 教えてください 共に生きる町を
詩人は、「共に平和をつくり」「平和の花を植え」る町を探しています。花を愛し、貧しさも生活の格差もない町を夢見て、人と人が平等に生活に必要なものを分かち合い、「美しい夢を育てる」町を願う。その町では、自分たちの労働が、苦しみを意味するのではなく、「祭り」になる。そんな日を詩人は夢見ます。
その町に住んでいる人は、それぞれに様々な歴史を持って生きている。詩人は、その誰もがお互いに差別することなく、「人を人として」尊厳を認め合える、人が「共に生きる町」を探しています。「その町はないのでしょうか。この地上にはまだ出現していないのでしょうか」と。
この詩人が詠う「共に生きる町」は、二つのことを表しています。
一つは、彼が探している「町」は、現実にはまだ存在していないということです。彼が目の当たりにしている「町」の姿は、実際には、「共に生きる」こととは程遠い人々の日常です。生活の格差は依然としてあり、貧しさに耐える人たちがいて、働くことが苦しみに思えるような世界、一人一人が大事にされなくて、「平和」や「平等」という言葉が実は青臭く、甘っちょろい空想に感じられる世界に、詩人は生きている。
と、同時に、二つ目の意味は、彼は、その現実の中で、なおも「共に生きる」ことをあきらめない、ということです。人がその厳しい現実に打ちひしがれて、その場所に止まってしまうのではなくて、その境遇と状況を乗り越えていくことを、詩人は心から願っている、ということです。「町」は実現しなければならない、と彼は祈っているのです。
この詩が書かれたのは、1983年ごろで、その当時、明植さんは留学で日本に滞在し、東京の三鷹に住んでいました。彼は一時、私が学んでいた神学校の寮に間借りしていたこともあり、私と彼とは親しくなりました。
八〇年代、全国的に大きな運動が起こりました。「指紋押捺拒否」闘争です。永住権を持っているにもかかわらず、国内で様々な差別を受けていた在日外国人、特に在日コリアンの二世・三世の人たちがいます。外国人登録証への指紋押捺は、その差別の象徴的な制度でした。日本政府の在日外国人への差別的処遇と、人権を訴えるために、在日コリアンが中心となって起こしたのが、外国人登録証への指紋押捺の拒否だったのです。
このとき、明植さんもこの運動に連帯し色々な集会やデモに参加していたようです。八六年春、私が神学校の仲間たちと日比谷の法務省前での抗議デモに参加した時も、明植さんはそこにいました。
「共に生きる町」は、すでに活字になっていましたが、デモの参加者の一人がその詩二曲をつけたと云って、明植さんに聴かせていたのを今でもはっきりと覚えています。
明植さんの母国韓国の八〇年代は、朴正熙(パクチョンヒ)大統領射殺事件に続く光州での民主化運動の弾圧と虐殺から、この時もまだ全斗煥(チョンドファン)軍事政権が続いていました。
勝手な推測でしかないのですが、この詩を明植さんが詠んだとき、彼の眼には人権を訴える在日コリアンや在日外国人の姿と共に、母国韓国の民主化を求めている人々の置かれた状況が見えていたの
かもしれません。
いいかえれば、「共に生きる町はないんですか」と呼びかける明植さんの言葉が、やさしい言葉づかいと同時に、切実さを漂わせるのは、彼を取り巻いているその現実を見る目と、彼の祈りが感じられるからだと思えるのです。
「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから。」今日の日課のこの言葉をもって、イエス様はおよそ三年間にわたる宣教のわざを始められました。
「イエスは(洗礼者)ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。」
その宣言の時は、洗礼者ヨハネが逮捕された後でした。イエス様の公的な活動は、その時から始まりました。それは、あたかも、洗礼者ヨハネの活動を引き継ぐかのようでした。ヨハネが口にした言葉をイエス様は語ります。「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから。」
イエス様は、家族の住む故郷の村ナザレを後にします。そして、ガリラヤ湖畔のカファルナウムに拠点を移すのです。それはイザヤが預言したことの成就でした。
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の影の地に住む者に光が差し込んだ。」
「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから。」この言葉を語るイエス様の眼には、ガリラヤに住む人々の姿が映っていたことでしょう。
ガリラヤ、それは、首都であるエルサレムから遠く離れた地方です。地主のもとで働いている小作農とその家族たち、日々の暮らしに苦労している職人たち、病に苦しみ、また病ゆえに差別されていた人々、そんな現実の中で悩み助けを求めている人たち。そのようなたくさんの救いを求め願う男も女も、若者や子ども、年寄りの姿。それをイエス様は見ていた。そしてその現実を前にして、そこに集まった人たちに向けて語った言葉。それが、「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから」であったのです。
具体的な人々の生活を前に、イエス様が感じたのは、「天の国、神の国」すなわち「神様が公平と正義を持って支配する世界」から程遠い世界です。
不正義と不公平が現実にあり、苦しむ人々がいるという世界です。
それゆえに人々に必要なのは、「悔い改めること」「神様に向かって生き方の方向を転換すること」でした。
悔い改めるとは、ただ反省するという意味ではありません。自分の立っている場所を変えること、視点を変えることを言います。それは、自分の今の視点よりも下に立って見直すこと、低い場所に立って物事を見直すことを言います。視線を低くして自分の身の回りを眺めれば、世界は変わって見えてくる。そして、神様に向かって姿勢を変えること、生き方を変えていくことは、やはり世界を変えて見ることにつながるからです。
この「悔い改めること」を求めるのは、洗礼者ヨハネと同じです。しかし、洗礼者ヨハネが、天の国が到来することで起きる裁きを語り、いわば脅しの言葉をもって、「悔い改め」を迫ったのに対して、イエス様の呼びかけは異なります。イエス様の語る「天の国」とは、人を縛りつけている色々なしがらみや負担、「罪」の思いから解き放ち、自由にしてくれる時を意味します。「その日は、近い」とイエス様は語ります。いや、その時はすでに来ている。私(イエス)が地上に来たことによって、すでにそれは始まっている。そうイエス様は宣言しています。「天の国」は、私の、私たちの可能性としても示されています。「神の国はあそこにある、ここにあるというものではない。実にあなたたちのただ中にあるのだ。」というイエス様の言葉がそれを示しています。
「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから」という言葉には、それゆえに、イエス様が自分の周りに広がっている現実を見て、その現実は変えられなければならない、克服されなければならないと感じている祈りと、その日は決して遠くないし、不可能ではないという希望が込められているのです。
私たちは、主の祈りで、「み国がきますように、み心が天で行われるように地上でも実現しますように」と祈ります。神様の国が、神様の支配する国が、今来て下さいと祈るわけですが、その祈りは、イエス様の「悔い改めよ、心の向きを変えよ、天の国は近づいた」という声に応えようとするものです。「私たちもまた、神様に顔を向け直します。どうぞ、神様あなたのみ国を地上に実現してください」と願う祈りなのです。今、私/私たちが、目の当たりにしている現実をしっかりと見据えて、乗り越えたいと願うことなのです。
大阪の釜ヶ崎で働かれているフランシスコ会の本田神父は、イエス様の語る福音は、教会という枠組みの中だけにとどまっているのではなくて、世界のそこここで、色々な取り組みの中で実現しているし、しつつあると語ります。
それは、例えば、不当に扱われている人々の権利を回復する、ということであるかも知れません。人々の生活を経済的に縛りつけ、文句を言わせないようにする企業への抗議の中に見え隠れしているかも知れません。沖縄の基地の問題があります。福島原発の事故によっていよいよ浮かび上がってきた原発の問題。古くは足尾銅山の鉱毒被害、チッソによる水俣病などの公害問題があります。あるいは、福祉や教育を巡る問題が起こっています。
それらの問題に取り組む中で、「闇に座す民」や「死の影の地に座す民」、社会の外側(周縁)に追いやられた人々、闇に住む人々に光を当て、掬うことが目指されているとするならば、そこにイエス様の福音は、働いていると語るのです。
確かに、それらの問題は、未だ解決していません。その意味では、福音は未だ成就していないとも言えます。しかし、それらは、解決への予感をはらみつつ、そこに起こっています。そして、イエス様の教えとわざが、どのように、誰に向けてなされたか、を基準にして眺めて見るならば、私たちは、そこで起こっている福音の働きの可能性を、また実現しつつある福音を、見いだすことが出来るようにも思うのです。
「福音は実現しつつある。今実現する。天の国は近づき、実現するのだ。だから、悔い改めなさい。」この言葉は、私たちに問うています。「共に生きる町はないんですか/教えてください」と。
「共に生きる町はないんですか/教えてください」と呼びかける詩人の眼に映る風景と時代が、「小さな夢を育てる/共に生きる町」になるように求めていきたいと思うのです。
「み国が来ますように、み心が天で行われるように地上でも実現しますように」と祈り、行う者でありたいと思います
(2020年1月26日)