

日本福音ルーテル豊中教会
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礼拝メッセージ
(当分の間、毎週更新します)

2025年7月13日
聖霊降臨後第5主日
「誰かの隣人
となる」
ルカによる福音書
10章25節 ~37節
「論語読みの論語知らず」という言葉があります。中国の孔子が書いた「論語」という儒教の本を読んではいても、その教えを理解できていない、あるいは生活の中で実践できていない人のことを、揶揄した言葉です。どんなに素晴らしい道徳や倫理の教えを学んでいたとしても、それが実際に生活の中で生かせていないとすれば、それは学んだ教えを正しく理解したとは言えません。そして、それはあらゆる思想、宗教に当てはまることだといえるでしょう。
イエス様が生きていた時代、(旧約)聖書を学んでいた人たちの中でも、やはりこの「論語読みの論語知らず」と同じようなことは起こっていたようです。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことが出来るでしょうか。」 ある律法学者が、「イエス様を試そうとして」、こうイエス様に質問しました。
この「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことが出来るのか」、あるいは、「永遠の命を受け継ぐためには、律法(旧約聖書)の中で何を一番に守るべきなのか」といった議論は、ユダヤ教の中では広くなされていたと云います。それは言い換えれば、「律法の中で一番重要なものは何か」を問うことであり、この問いに対して、どのように答えるのかによって、律法学者(ラビ)の学識と知識が試されたともいえるからです。
この問いに対して、イエス様は直接答えようとはせずに、返って律法学者に向ってこう聞きました。「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読むか」と。
質問に対して質問で返してきたにもかかわらず、律法学者は、真面目だったのでしょうか、「得たり賢し」とばかりにこう答えました。「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くしてあなたの主なる神を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」 するとそれを聞いたイエス様はすかさず彼に言いました。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
議論はここで終わるはずでした。しかし、律法学者はまだ重ねて質問しました。「では、わたしの隣人とは誰ですか」と。
この問いにもまた、ユダヤ教の中で重ねられてきた議論が前提としてありました。なぜなら、律法学者の間ではこの場合の「隣人」という言葉は、「イスラエルの信仰共同体に属する者」として厳密に考えられ、また用いられていたからです。その「隣人」の範囲を広くとるか、または狭い意味で考えるかで、律法学者の流派が分れていたそうです。この律法学者の問いは、議論の前提を明確にしようとする「当然の」ものだったわけです。
しかし、ここでイエス様は、その質問に律法学者が考えるようには応えませんでした。彼は、ある具体的な物語を語ることで、この「抽象的な」議論を、より実際的な行動を導くものへと促していったのです。それがサマリヤ人の話でした。
「ある人が強盗に襲われて、半死半生で道に倒れていた。そこを祭司が通りかかったが、関わり合いにならないように通り過ぎて行った。その次にレビ人が通りかかったが、祭司と同じように通り過ぎて行った。そこに旅をしていたサマリヤ人が通りかかり、そのけが人を見て、憐れに思い手当てし、宿屋に運び、費用を渡して介抱させた」。そして、イエス様は、続けてこう律法学者に問いかけます。「三人の中で、誰がその強盗に襲われた人の隣人になったのか」と。「その人を助けた人です。」 律法学者がそう答えると、イエス様は言います。「行ってあなたも同じようにしなさい。」
イエス様の「サマリヤ人の説話」に登場する祭司もレビ人も、神殿での祭儀のために、常日頃、穢れに触れないように注意しなければならない存在でした。
彼らが、けが人の倒れている「道の向こう側を通って」行ったのは、けが人の血に触れて汚れることのないようにしたということを意味します。祭司もレビ人も律法に精通し、またそれを遵守するからこそ、そのように振舞ったわけです。
一方のサマリヤ人は、通常ユダヤ人からは、差別される対象でした。もともとは、イエス様が生まれる七百五十年ほど前、北王国イスラエルが滅ぼされた後にアッシリア帝国によって、他の土地から強制的に移住させられた人々が、遺されたユダヤ人と交わる中で、ユダヤ教の文化を基盤としながらも、独自の宗教的な文化を築いていったことに始まったとされます。ユダヤ教の純粋性を守ろうとする人々から見れば、サマリヤ人は混交宗教を信じており、正しくないと考えられていましたし、一時期は、独立したユダヤ王国によって支配もされていたようです。そのため、サマリヤ人もユダヤ人に対しては強い敵愾心を持ち、お互いに接触したり、交流することを避けて来たといいます。
従って、ここでイエス様がサマリヤ人のことを例話として話すことの意味は、挑発的でした。つまり、一方は律法の遵守者である祭司とレビ人、他方は日頃差別の対象とされているサマリヤ人を比較することは、律法を守ることの中身を問いかけることであり、その具体的なあり方を問うことで、その当時の律法の解釈、もしくはその律法解釈に基づいた社会の価値観そのものを、批判しているからです。
さて、イエス様の問いに戻りましょう。ここで重要なのは、「誰にとっての隣人なのか」という点です。
律法学者にとっては、「隣人が誰か、または誰が隣人には価しないか」を判断するのは、自分自身でした。
しかし、イエス様のお話しに登場するサマリヤ人は、倒れている人が、同胞のサマリヤ人であるのか、あるいはユダヤ人か、はたまた別な民族の人間かは、問題にはしていません。ただ彼は、強盗に襲われた人にとって、今その時点で何が必要なのかを考え、そして、適切な助けと援助を行っただけなのです。それ以上でもなければ、それ以下でもないわけです。
相手が誰であったとしても、自分が出会った相手にとって、最も必要とされていることを行う。イエス様は、これが、「自分から誰かの隣人となること」であり、律法の精神を具体的に生きることになると言われるのです。もちろんそれは、自分勝手な善意の押しつけであってはならないのですが、ともかく、「隣人とは誰か」を判断するのは、この場合、どこまでも、困窮の中にいて助けを必要とする「相手」の人自身なのです。
さて、先だって、「僕の日本人助産師を探して」というテレビ番組を見ました。それは、一人の中国残留婦人の物語でした。
戦前、旧満州(今の中国東北部)に、日本からたくさんの農民が満蒙開拓団として入植しました。しかし、敗戦直前にソ連軍が侵攻してくると、日本軍(関東軍)はいち早く撤退したため、大勢の開拓団が現地に取り残されました。そして、その中には現地の中国人たちやソ連軍による暴行、略奪を恐れて、自決の道を選んだ人々も少なくありませんでした。
岩手県出身の浦山あき子さんとその家族は、夫が病気であったことから、ソ連軍侵攻が始まると避難するのをあきらめ、一家心中を試みました。夫と二人の幼児は命を落としましたが、あき子さんは瀕死の重傷を負いながらも、近所に住んでいたある中国人の一家に助けられ、命拾いをしました。
彼女を助けた一家にとっては、日本人を助けたことが他の中国人に知られると、立場を悪くしかねなかったのですが、それでも怪我をして瀕死の状態の彼女を放っておくことはできないと考えて、彼らはあき子さんの手当てをし、彼女を匿(かくま)ったのでした。あき子さんは、傷が癒えると、その家族の一人と結婚し、中国国籍を取得して、中国名の劉岩を名乗り、その村で暮らし始めました。彼女は、日本で助産師の資格を取っていたこともあって、村では助産師として働き始めました。そして、1992年に帰国するまでに、数多くのお産に立ち会い、約一万人のこどもをとりあげました。あき子さんの昼夜を惜しまず献身的に働く姿を見て、村人たちは彼女を深く信頼し、また尊敬するようになったといいます。文化大革命の折には、彼女が日本人であると云うことで、様々な批判を受けましたが、彼女の周りの人たちは、彼女を庇い続けたと云います。1972年に日中国交が回復すると、彼女は日本の故郷に手紙を書き、親戚と再び交流を持ち、やがて中国でできた娘と一緒に帰国を果たしました。ただ、様々な事情から、彼女は故郷には戻らず、名古屋に住んで、最後は入所していた老人ホームで亡くなられています。
今日の日課の主題との関連で云えば、もしも、あき子さんが首に傷を負って血を流していたのを、彼女が日本人だからということで、村人たちが見て見ぬふりをしていたなら、あき子さんは助からなかったでしょう。先ずある中国人家族が彼女の隣人となりました。そして、あき子さんの命が助けられたことで、次にはあき子さん自身が、お産に立ち会ったたくさんの母親たちと新生児の隣人になっていきました。
中国人ジャーナリストの寇愛哲さんは、浦山さんがとりあげた一万人の赤ん坊の内の一人でした。彼はその日本人助産師の生涯にとても興味をもって、彼女の足跡を辿り、その人生を記録していきます。愛哲さんは、元開拓団員だった人や浦山さんの肉親を捜して話を聞く中で、「侵略者とされた日本人もまた戦争によって翻弄されていた」ことを理解していきます。
「誰かの隣人になる」ということは、仮に国籍や民族、文化風習の違いはあったとしても、困難に直面し、助けと援助を必要としている誰かのいのちを優先し、その人に役立つように実際に行動を起こすことだ、といえるのではないでしょうか。
最後に、この説話には、「強盗に襲われた人」のもう一人の「隣人」が登場します。それは、「宿屋の主人」でした。彼は、サマリヤ人が運び込んだけが人を介抱して、引き続き世話することを託されました。おそらく、「宿屋の主人」がいなければ、サマリヤ人も途方に暮れたと思います。彼にも旅をしている事情があったはずで、何から何まで、けが人の世話のすべてを引き受けてその場所にとどまり続けるには行かないわけです。一人の行動には限界があります。しかし、役割を分担することで、目の前にいて助けを必要としている人の「隣人」となることはできます。
この「宿屋の主人」もまた、託されることで、強盗に襲われた人の「隣人」の役割を担いました。「宿屋の主人」は、いわば命のリレーのバトンを託された「同労者」、「パートナー」として、サマリヤ人の「隣人」になっていったのです。一人の人は、また同じような助け手を「隣人」として必要とします。「隣人」という言葉が表す関係は、限定されるものではなく、むしろ働きを託していくことで、広がっていく関係であることを、私たちは忘れてはならないでしょう。
「行ってあなたもそのようにしなさい。」
このイエス様の言葉は、常に私たちに向けられています。「あなたの主なる神を愛し」、「隣人を自分のように愛する。」そこでは、「目立った形で、何かを行うこと」が重要なのではありません。もし、私たちが、あなた/私が、言葉によって、あるいは何らかの行為によって、誰かを労り、誰かの心を慰めるのならば、それは、その相手のいのちを大切にする「愛」のわざなのです。

2025年7月6日
「主がわたしを
聖霊降臨後第4主日
遣わして」
ルカによる福音書
10章1~11+
16~20節
共観福音書と呼ばれるマタイ、マルコ、そしてルカの三つの福音書には、十二人の弟子たちが、福音宣教のために、イエス様に代わってガリラヤ地方の村々や町に遣わされた物語が記されています。ただ、ルカによる福音書には、十二弟子とはまた別に、エルサレムへの旅の途中で、イエス様が七十二人を選び、その先の「御自分が行くつもりのすべての町や村に」派遣した記事も記されています。それが今日の日課です。
その際、七十二人が何を基準に選ばれたのかは、判りません。ただ、この時すでにイエス様の宣教の旅は二年半を過ぎていました。選ばれた弟子たちも、それなりの時間をイエス様と共に過ごしてきたはずでした。イエス様の「聖書の解き明かしや教え」によって、人々が慰められ、励まされたとき、彼ら自身もまた慰めを覚え、力づけられたでしょう。苦しんでいる人たちからイエス様が悪霊を追い出し、病を癒す奇跡を目撃したときには、彼らも、「神様のわざ」が確かにそこで働いていると感じ、「自分たちは、『神の人』と一緒にいるのだ」と驚き、またイエス様への畏敬の念を持ったはずです。
とはいえ、自分たちが、人々に「神の国の接近」を語り、悪霊を追い出し、病を癒すとなると話は別です。
「自分は、イエス様のように、神の国について話し、さらに悪霊を追い出すことが出来るだろうか。」 おそらく、七十二人の誰もが、そう思ったに違いありません。
しかも、この時も、イエス様は、十二弟子たちに与えたのと同じような注意をしています。「財布も袋も履物も持」たずに手ぶらで行くこと、「途中で(無駄話のために)だれにも挨拶を」しないこと、そして、「どこかの町に入り、迎え入れられたら」、一か所(の家)に「泊まって(家から家へと渡り歩かず)、そこで出される物を食べ、また飲」むことと。
いくら「神の国が近づいた」というメッセージを、できるだけ急いで、より多くの人に伝えなければならないとしても、何も持たずに出かけなさいと言われれば、旅先での具体的な心配は当然あるでしょう。送り出される時の弟子たちの緊張と心配、不安は想像するに難くありません。
ただ、ここで注意したいことがあります。イエス様は、彼らを決して孤立無援で放り出したわけではありませんでした。手ぶらであったとしても、弟子たちには、大きな力、人々に平和をもたらし、汚れた霊を追い出し、悪霊から人々を解放する「権能」が授けられたのです。
「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」 それは先ず、弟子たちの祝福によって、その場所に平和がもたらされるというものでした。
また、弟子たちが行く先で語る言葉は、イエス様の言葉と等しく、それはそのまま神様の言葉に他ならないということです。
「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
それは、イエス様が持つ力と同じものでした。その力、すなわち「権能」が託されることで、弟子たちは、「イエス様に似た者となり、キリストのわざをなす者とな」るのです。
だからこそ、「町に入っても、迎え入れられなければ」、時間をかけて人々を説得しようとしたりせずに、すぐに「広場に出て」、「『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』」と宣言しなさいと命じられているのです。
もうひとつ、彼らが二人一組で派遣されたことも、大事なことでした。身の回りで起こるすべてのことに、一人で対処するのは難しいものです。その人の性格もあるし、得意なことも不得意なことももちろんあります。しかし、パートナーがいればそれは違ってきます。お互いに支え合い、補い合いながら行動することが出来ますし、判断に迷うときには、相談することも出来ます。お互いに慰め合い、励まし合うこともできます。二人で行動することで、心の負担は確かに軽くなるからです。
また、弟子たちが忘れてならないのは、立ち寄った町や村で、必ずふさわしい協力者が与えられることへの信頼を持つことだといえるでしょう。手ぶらで行くことも、その理由の一つかもしれません。「働く者が報酬を受けるのは当然だからである。」 そして、それはまた神様の導きとイエス様の言葉への信頼でもあるのです。
さて、不安を抱えて出発したであろう七十二人は、しかし、その宣教の旅から、「喜んで帰って来て」イエス様に次のように報告しました。「『主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。』」と。それは彼ら自身が驚くような、目に見える大きな成果でした。彼らを迎えたイエス様も言われました。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」と。苦しんでいる一人の人が、弟子たちの言葉によって悪霊から解放されることは、この世で我が物顔に振舞う悪霊の頭、サタンが、天から落ちるのに匹敵する大きな働きであるというのです。稲妻が光り、落雷する光景を見て、イエス様はサタンの敗北を感じ取ったのではないでしょうか。
弟子たちがイエス様から授けられた力、「権能」は、「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ」ものであり、それゆえ、弟子たちに「害を加えるものは何一つない」のです。
ただ、ここでイエス様は、そのような成果の大きさに喜んでいる弟子たちに向ってこう言いました。「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」 たとえ彼らが悪霊を服従させることが出来たとしても、その結果で喜んではいけない。そうではなくて、彼らが託された務めに忠実であったことを、神様が祝福し、かれら自身の名前が天に書き記された、神様に覚えられたことを喜びなさい、と。
確かに、派遣された弟子たちは、イエス様から力と「権能」を与えられました。だからと言って、悪霊を追い出すことができたのは、「イエス様の名前による」のであって、彼ら自身の力ではありませんでした。弟子は弟子であることに対して謙虚であるべきなのです。また、イエス様が意図する実り多い「収穫」は、この世で称賛される成果や成功とは違います。「失われた一匹の羊」を救うために労苦を惜しまない働きであり、それはイエス様の生涯と受難と十字架を見れば明らかです。
あるいは、福音宣教は、目に見える大きな成果だけをもたらすとは限りません。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。」とイエス様が語る通り、いつの時代の状況の中でも、この世の支配的な勢力は、神様の正義と公正が実現することに抵抗し、しぶとくイエス様の福音宣教を阻止しよう手立てを尽くすからです。この世の力は、イエス様を十字架に架けたように、弟子たちも迫害し、働きを封じようとするからです。それは神の国が到来するそのときまで、一進一退を繰り返す「悪との戦い」であるからです。
それゆえ、弟子たちは祈り続ける必要があるのです。
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
神学者のD・ボンヘッファーは、イエス様が語る「収穫」について、次のように書いています。
「イエスが担う神の国の福音と、救い主としての力は、イエスが貧しい者、病める者を見い出した時に、彼らのものになる。群衆の姿を見て(中略)、イエスの心は、深いあわれみで満たされた。」
その「群衆」の状態は、「助けなき困窮」であり、「解放なき良心の不安」であり、「慰めのない涙」と「許しのない罪」である。「イエスは、神の民がしいたげられ、みじめな、みすぼらしい姿で自分の前に立つこの場所こそ、神の豊かな収穫の畑を見るのである。」「『収穫は多い』。貧しい者、悲惨な者たちが神の国に帰る時が来たのである」と。彼は、イエス様が神の国に帰る人々を見い出すことが、「神の国の収穫だ」と云うのです。
だとするならば、派遣された弟子たちが、たとえば、彼らが出会う人々の嘆きや悲しみ、苦痛や悩み、怒り、あるいは喜び、それらを聴いて集めていくこともまた、収穫なのではないでしょうか。そして、人々が陥っている「困窮」や「良心の不安」、流している「涙」と「罪が犯されていること」を弟子たちが目の当たりにして、「深いあわれみ」で心を満たし、「痛みを覚えること」によって、その人々の所に神の国は近づき、なによりも、イエス様の「神としてのあわれみ」が、「この見捨てられた群れ全体を包む」のではないでしょうか。悪霊を追い払うこと、「助け」や「解放」、「慰め」や「許し」を人々にもたらすことは、弟子たちが人々の思いに耳を傾け、心を寄せたその結果であると云えます。先ず、弟子たちがなすべきことは、人々の思いを携えてイエス様の前に差し出すことです。そのことが癒しを起こすし、癒しそのものであるといえます。
最後に、ここでいう七十二人の弟子たちとは、誰でもない私たち自身のことです。弟子とは、福音宣教のための「何か特別な訓練」を受け、「資格」を持った専門家を意味しません。イエス様を信じて生きている人すべてを云います。そして、私たちもまた、弟子たちが町や村々へ派遣されたように、今この時、私たちを取り巻く状況の中へ、イエス様によって派遣されているのです。様々な状況の中で、日々の生活の中で、人々の中で、私たちに求められていること。それは、私たちと出会う一人一人の気持ちを聴き、悩みや苦しみ、悲しみや喜びの声を聴くこと、気持ちを分かち合い、祈り、心を寄せて連帯すること、そして仲間となること。そのとき、イエス様の力による癒し、人のいのちを活き活きさせる癒しのわざも起きるのです。
そして、そのような私たちの働きは、ある意味、目に見える大きな成果をもたらさず、貧しいものであるかもしれません。世間で云うところの「成功」を意味しないかもしれません。しかし、その私たちを信頼し、イエス様が福音宣教のために、私たちを用いてくださることに感謝をしたいと思うのです。そして、イエス様が託された務めに忠実であり続けたいと思います。「神の国」が到来し、神様の正義と公正が地上で実現するように備え、祈り、イエス様が持たれた人々への憐れみの心、「はらわたのちぎれるような思い」を共に感じていきたいと思うのです。

2025年6月29日
聖霊降臨後第3主日
「弟子であること」
ルカによる福音書
9章 51節~62節
今日の福音書の日課ルカによる福音書9章51~62節では、三人の人たちが登場します。
三年にわたるガリラヤ地方での福音宣教の旅を終えて、いよいよエルサレムへの道を(自分の受難と死を迎えるその道を)進んで行くイエス様の所に、先ず一人の人が弟子になりたいとやってきました。彼は、イエス様から誘われたわけでもなく、「主よ、あなたに従ってどこへでも、ついて行きます」と、自分から「イエス様に従う」ことを決めてやって来ました。しかし、イエスはこの人に向かってこう言いました。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と。
もう一人の人には、イエス様が「わたしに従いなさい」と声をかけました。ただその人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言いました。イエス様は彼にこう答えました。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と。
三人目の人は、「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」と云いました。彼に対しては、イエス様はこう答えています。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と。
ここに登場する三人は、それぞれが、弟子になりたいと願う者であったり、弟子としての招きを受けたものです。このやり取りが示しているのは、弟子となること、弟子であることの覚悟であり、姿勢であると云えます。
「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」。
イエス様が語られたこの言葉は、イエス様の福音宣教が、決してなま易しいものではないことを表しています。
イエス様の福音宣教、それは村々や町を巡り歩いて、教えを宣べ、癒しのわざを行うものでした。それは、大勢の人々、特に貧しい人々や病の癒しを願う人、困難を抱えて人生に何らかの希望を見い出したい人々からは歓迎されるものでした。イエス様は、そうした人々を憐れんで、休む間も惜しんで宣教の業を続けられました。しかしイエス様のそうした活動を、快く思わない人々ももちろんいました。とりわけファリサイ派や律法学者たちからは、おおいに警戒され、敵対視されていました。
「人の子には枕するところもない」と言う言葉は、イエス様に従うという一つの生き方を選ぶということが、「自らの安定を犠牲にしても、人々に仕え、しかも、その行いが人々や世間からは理解されずに、孤立すること、あるいは命を懸けることさえある」のを意味します。そして、イエス様も弟子たちも実際にそうした大変さの中に放り込まれていました。
イエス様に従う生き方は、神様の意志に従うことです。そしてそれは、今現在のこの世間・社会を支配的に動かしている価値観に迎合するものではありません。ですから、もしも人が、大勢の群衆に囲まれているイエス様を見て、イエス様に従うことで、自分も「人生の成功」や「成果」、「地位や名誉」を得ようと少しでも期待するならば、それはイエス様の意図する目的とは違うわけです。その弟子の志願者が、イエス様の話を聴いて、イエス様の生き方を理解し、自分の人生を真剣に考えたすえに、「あなたに従います」と決断したのか、あるいは、ただ教えに感激して、勢いだけで弟子になることを求めたのかは判りません。しかし、イエス様は、彼を突き放すことで、彼に充分考えて決めたのかどうか、を問いただしていると言えます。熱しやすく冷めやすい、一時の高揚した気持ちで決めたことは、往々にして、時間が経過して大変さ、厳しさが具体的に生じてくると、挫けてしまうことがあります。早合点、安請け合い、調子の良さには、熟考することが必要なのです。
「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」。
葬儀、死者を葬ることは当時のユダヤ教社会では大変に重要でした。また、人として、亡くなった父親を葬りたいと願うことは、心情から云えば、ある意味当然なことです。
ただ、この「まず、父を葬りに行かせてください」という言葉が、当時の葬儀の実際を考えれば、「イエス様の招き」の機会に対する応えを、かなり先延ばしにするものだと云えるかもしれません。と云うのは、ユダヤ教の葬儀は、当日中の遺体の埋葬とそれに続く厳格な七日間の喪の期間が、律法で決められていたからです。その葬送の儀式の間、肉親は着ている衣服を裂き、嘆きと悲しみを表し続けないといけませんでした。そして、喪の期間は、場合によってはひと月、両親の場合は一年ほど続いたともされています。
そうやって考えると、「まず、父を葬りにいかせてください」という言葉は、もしもそれが、実際に葬式を行うことを意味していたとしたら、イエス様の「わたしに従いなさい」という招きに応えるのは、少なくとも一年先になるということを意味するわけです。「すぐにあなたに従います」という応えにはなっていないのです。
この人に対するイエス様の「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」とはどのような意味か、理解するのが難しい言葉なのですが、ある意味、イエス様は「死んでいる者たち」という言葉で、すでに神様の御許で復活している「死者たち」を思い浮かべていたとも考えられます。「『彼ら』が、神様のいる場所で死者を迎え入れてくれる。あなたがそれを心配する必要はない。あなたは直ちに神の国を宣べ伝えに出ていきなさい。」
実際のところ死者を埋葬することは、息子であるその人がしなくても、他の誰かがするかもしれません。イエス様は、その人に、父親の死の悲しみに囚われるのではなく、「生きよ」そして、「今、生きている人々に神の国を宣べ伝えよ」と呼びかけているとも云えます。
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」
当時の農業で鋤は、牛に曳かせて行っていました。畑を耕すのに、後ろを振り返りながら鋤をかければ、まっすぐ進むことは出来ずに、土を掘り起こすことはできませんし、畝は曲がってしまうでしょう。事故につながってしまうかもしれません。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者」とは、これから成そうとすることに対し、そこにすべての想いを注ぐことが出来ない状態の人を表しています。「家族へのいとまごい」ということから云えば、肉親や家族への愛着の思い、あるいはしがらみに縛られたままでは、そこからさまざまな抵抗が生じて、神の国を宣べ伝えることは難しい、ということでしょう。
イエス様の宣教は、この世界を耕し、神の国の種を蒔くことです。また、イエス様ご自身は、「わたしの母、兄姉とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(ルカ8章21節)と言われました。イエス様は、血縁・地縁に囚われず、より大きな神様の許での「家族」、人と人のつながりの中に生きなさい。「ただ神の国と神の義を求めて」、前を見て、イエス様のみを見つめて進みなさい、と云われているのです。
朝ドラの「あんぱん」で、戦争中の場面を見ていて、もしも、自分があの頃に生きていたら、何を語り、どの様に行動できただろうか考え込んでしまいます。「戦争には反対です。」「この戦争は間違っています。」とはっきりと口にできただろうか。周囲から非国民と云われたり、交際することすら避けられてしまうそうした状況の中で、人は自分の信念・信条を守れただろうか。考えてしまいます。そして、それが決して容易いことではなかったことも私たちは、過去の歴史から知っています。
平常な世界であれば、キリストへの信仰を持っていると公言することは出来ます。私はキリスト者ですと云えるでしょう。でも信仰を告白することが、自分の日常生活を脅かし、果ては命そのものまでも奪われるような状況になったとしたら、「私」は、どこまで自分の信仰を告白できるでしょうか。そして、そうした状況下では、肉親や血縁・地縁が、時として、ある意味大きな障壁として立ちふさがるでしょう。
ウクライナ・ロシア戦争が勃発してから、ロシア国内で反戦デモに参加した人々が次々と(違法に)逮捕され、今も大勢の人たちが刑務所に収監されています。そうした抗議の声が信仰にもとづいたものであったとしても、特に戦時下のロシア国内では許されない行為なのです。
どの様な状況下であっても、信仰を持ち続けること、イエス様を信じ、イエス様の弟子であり続けることは大切であることが、今日の日課には記されているとも云えます。
三人の人たちが、イエス様の言葉を聞いた後で、それぞれどのように振舞ったのかは、ここに書かれていません。それはある意味、三つの問答が、読者である私たちへの問いとしてあるからでしょう。「イエス様の弟子とはどんなことか」、「弟子であり続けることはどのようなことか」。私たちを取り巻く状況は、ある意味刻々と変わります。そうした変化する状況の中で、私たちは常に「イエス・キリストの弟子であること」を問われています。戦争という極限の状況ではないにしても、私たちの目の前にある様々な課題を通して、あなたが弟子としてあろうとするならば、あなたは、この状況でどう行動していくか、イエス様の招きに、私たちがどう応えていくかを、イエス様は問うているのです。
ただ、その際、大切なことを忘れてはいけません。自分自身の心配事を神様に委ねることです。私たちは生きている限り、心配事は尽きないかもしれません。私たちには、いくら心配しても解決できないことが多くあります。しかし同時に、心配をしすぎることによって、一歩も踏み出せなくなることもあります。神様が最善の解決を与えてくださると信じることで、私たちは前に進むことができます。イエス様が共におられます。そして、聖霊を私たちの所に送って、私たちを導かれます。何を語り、何を行うべきかを、聖霊は私たちに示してくださいます。
ガラテヤ書にはこう書かれています。
「わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。(ガラテヤ5章25節)」

2025年6月22日
聖霊降臨後第2主日
「解き放たれて」
ルカによる福音書
8章 26節~39節
もしも人が、かなりの長期間、周囲の人たちとのコミュニケーションが断たれた孤立した状態で、しかも、その人の自由を強制的な形で抑圧される環境に置かれ続けた場合、その人は相当なストレスを受けることになります。精神病院の閉鎖病棟、強制収容所などの監禁施設、若しくは刑務所や拘置所などの刑事施設などはその典型ですが、そのような場合、その人はときとして、何らかの精神症状を伴った拘禁反応というものを示すことがあります。
周囲との関係が断たれていることが、その原因なのですが、発症した精神症状によっては、ますますその人の社会的な孤立状態が深まってしまうと云う悪循環に陥ってしまいます。ですから、その人の回復にとっては、精神症状の治療と共に、社会的な孤立状態からの解放が何よりも必要になってくるのです。
今日の福音書の日課では、社会的な孤立状態にある一人の男とイエス様の出会いが描かれています。
イエス様が、「ガリラヤ(湖)の向こう岸」、デカポリス地方に渡り、「ゲラサ人」が多く住んでいる場所に着いたときのことです。そこは、ヘレニズムの影響を受けたギリシャ文化圏の地方でした。
イエス様が上陸すると、そこへ「悪霊に憑りつかれた男」がやってきて、イエス様を見ると、「わめきながらひれ伏し、大声で」「『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。』」と言いました。イエス様とこの男の間にどのようなやりとりがあったのかは定かではありませんが、イエス様がこの男に向かって、「汚れた霊、この人から出て行け」と命じられたからでした。
この男は自分のことを、「たくさんの悪霊が入っている」から「レギオン(軍団)」だと名乗りました。そして、この男(にとりついて悪霊たち)は、イエス様に「底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないように」願い、その代わりに、近くで飼われていた豚の群れに移らせてくれと頼んだのでした。それをイエス様がお許しになると、「悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ」のでした。そして、この悪霊どもを追い出してもらった人は、「服を着、正気になってイエス(様)の足もとに座って」いたのでした。
これが、今日の日課で記された奇跡物語です。
さて、この物語を、「悪霊どもを追い出してもらった人」の側から読んでみると、いくつかのことが見えてきます。
この男は、「長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとして」いて、「何回も汚れた霊に憑りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていた」のですが、「それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた」人でした。マルコによる福音書では、「彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。」と書かれています。
おそらくは、大きな声で叫んだり、暴れたりすることから、彼は村の共同体から追い出されるかして、墓場に住み着き、周辺の荒れ野を彷徨っていたのでしょう。
想像してみたいのですが、「長い間、衣服を身に着けず」、「墓場を住まいとして」、「何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていた」生活とは、どんなものだったのでしょう。確かに家族や村の人々にとっては、彼の状態は大変だったことでしょう。しかし、それ以上に本人は、とても苦しかったのではないでしょうか。自分でもどうしようもない辛さ、怒り、悲しみを、抱えていたのではないでしょうか。
彼の病い、つまり「悪霊どもが憑りついた」状態が、何に由来するのかは判っていません。しかし、彼の症状として出ていた、「大声で叫び、石で自分を打ちたたく」ことは、何らかの苦痛の表れであり、自分を苦しめる何者かと「戦い」、あるいはそれから「逃げる」ことだったのかもしれません。イエス様に向かって叫んだ「うるさい!私にかまうな!」も「お前は誰だ!やめてくれ!」も、自分を守るための必死の叫びであったように思えるのです。
そして、そうした症状に苦しむ彼を、更に追い詰めたのが、村や家族から遠ざけられたことではなかったでしょうか。「鎖でつながれ、足枷をはめられ」「墓場に住み着く」という社会的な孤立が、彼の状態を更に悪くさせていったのではないでしょうか。どこにも安心することが出来ずに、放って置かれた状態。誰とも関わることなく、見捨てられた状態。おそらく彼は自分には、とんでもないくらいたくさんの、それこそ「レギオン(軍団)」級の五~六千ぐらい「悪霊が憑りついている」と信じたのではないでしょうか。
人が陥る精神状態は、ある意味その人がいる環境によっても、大きく作用されると言います。病いの苦痛だけでなく社会的な孤立による苦痛は、彼を一層苦しめたでしょう。
その彼に、イエス様が声をかけてきて、「悪霊よ、この人から出て行け」と命じられました。「このイエスは、自分を悪霊から救おうとしてくれている。この苦しみから救ってくれる。」 そう感じたからこそ、そして関わりと救いを求めるからこそ、彼はイエス様に近づき、その前にひれ伏したのでしょう。「私に関わるな」といいながらも。
「俺に憑りついた悪霊どもが、そこの豚の群れにでも移ってくれたら、どんなに楽になることか。」 そう信じた彼が、イエス様に許しをもらって、豚の群れに喜んで突っ込んでいった。そうしたら驚いた豚たちは、パニックになって崖から湖に飛び込んでしまった。その様子を見て、彼は「悪霊が俺から出て行った」、「イエス様が俺を癒やしてくださった」と信じることができたということなのかもしれません。
この物語は、一人の男がたくさんの「悪霊に憑りつかれた」という病いを癒やされ、苦痛を取り除かれただけではなく、その病いゆえに被った社会的な孤立状態から解放されたことを示しています。墓場と山で、荒れ野で叫ぶ苦しみの声を、イエス様が聞き、深い憐れみをもって、その男を縛り付けていた鎖から解き放ったのです。
今日の旧約聖書の日課である、イザヤ書65章には、こう書いてあります。
「わたしに尋ねようとしない者にも/わたしは、尋ね出される者となり/わたしを求めようとしない者にも/見いだされる者となった。//わたしの名を呼ばない民にも/わたしはここにいる、ここにいると言った。」(1節)
「墓場に座り、隠れた所で夜を過ごし/豚の肉を食べ、汚れた肉の汁を器に入れながら/『遠ざかっているがよい、わたしに近づくな/わたしはお前にとってあまりに清い』と言う。」(4~5節)
これらの言葉は、今日の福音書の日課を彷彿とさせます。
ゲラサの「悪霊どもに憑りつかれていた」男の物語が示しているのは、イエス様の目は(そして神様の目は)、「尋ねようとしない者にも」「求めようとしない者にも」「名を呼ばない民にも」常に向けられているということです。そして、またイエス様の癒しとは、対処療法的に苦痛を取り除くことだけではなく、相手の持つ尊厳そのものを回復すると言うことでもあるのです。
社会的な孤立状態は、その当事者本人が、自分が苦痛を感じなくて済むように周囲を無視したり、反対に注目して欲しいために目立った行動を繰り返すことで、反って周囲から遠ざけられることから起こります。それは言い換えれば、その当事者が陥っている状態を、周囲が理解しない(出来ない)ことから起こっているともいえるのです。その結果、当事者が、まるで存在しないかのように扱われたり、隠された存在になってしまうのです。
人を生きにくくさせている状況は、たくさんあります。人が自分の尊厳を傷つけられる出来事を経験することで、周囲に対して心を閉ざすことも多々起こります。ゲラサの男もそうした経過の中で、周囲から厄介者扱いされ、孤立し、存在を無視されて来たのでしょう。イエス様の関わりは、「「悪霊ども」に命じられた言葉だけであったかもしれません。しかし、その関わりが、ゲラサの男の癒しと回復を引き起こしていくのです。
さて、この物語は、次のような結末で終わります。
この出来事を目撃した豚飼いたちが近隣の住民にこのことを知らせ、やってきた人々は、「悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエス(様)の足もとに座っているのを見て」、また出来事の仔細を聴いて恐ろしくなり、イエス様にこの地方から出ていって欲しいと願いました。そこで、イエス様がまた「舟に乗って帰ろうとされ」ると、「悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願」いましたが、イエス様は彼に「『自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。』」と言って、家に帰しました。その後、「その人は立ち去り、イエス(様)が自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた」のです。
「ゲラサ地方」の住民たちの態度は、ある意味、これまで「レギオン級の悪霊」に憑りつかれていた男を、共同体の中に何らかの形で受け入れることにまだ戸惑いを覚えているいるようにも思わせます。一方の「悪霊に憑りつかれていた男」も、その地方に留まることにやや不安を覚えているようにも思えます。しかし、そこで大切なのは、癒された男自身が、その出来事を通して、自分自身の上にイエス様が力を奮われたことを覚えることでした。彼が癒され、「悪霊」から解放された事実に、神様の奇跡と愛が現れていることを証することでした。それが彼の共同体への再参加になっていくのです。
この男に起こった変化の大きさに注目したいと思います。「悪霊どもが憑りついた」せいで、人とまともにコミュニケーションを取ることも出来なくなっていた男が、症状が治まり回復しただけでなく、自分の身の上に起こった出来事を、すすんで町中の人たちに伝えていくのです。
私たちも、イエス様が傍にいて常に関わり続けてくださっていること、様々な助けを通して、孤立した人たちを(また私たちを)救い上げ、活き活きとした人生を回復させてくれていることを思い出したいのです。そして、私たちもまた、孤立している人々に、神様の愛を伝えたいと思うのです。そのような共同体を築いていきたいと思うのです。

2025年6月15日
三位一体主日
「神様に出会う」
ヨハネによる福音書
16章 12節~15節
今日は三位一体主日です。三位一体とは、四世紀に教会の中で確立した教えで、私たちが礼拝の中で用いている使徒信条やニケア信条にあるように、旧約聖書に登場する「創造主である神」と、新約聖書に描かれた「御子イエス・キリスト」と「別な助け主である聖霊」が、「唯一の神」であることを言い表したものです。そして、それはまた、使徒信条で私たちが告白するように、「(イエス様は)天に昇り、父である神の右に座した」ことを覚える日でもあるのです。れてから、しばらくして弟子たちの上に聖霊が降ったという出来事を記念する日です。
今日の日課の少し前の箇所には、「わたしたちに御父をお示しください。」という弟子たちに向かって、イエス様が、「わたしを見た者は、父(なる神)を見たのだ」と語る場面が描かれています。イエス様は、こうも語っています。「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる。」(ヨハネ14章8~11節)
そして、今日の日課の後半には、このように書かれています。
「その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
「父がもっておられるものはすべて、私のものである。」
イエス様のこれらの言葉は、いいかえれば、イエス様ご自身と神様が実は一体であることを、語っているのです。つまり、福音書記者ヨハネは、イエス様との出会いが、弟子たちにとって、また人々にとっては、神様そのものとの出会いであると証言するわけです。
イエス様という実際の人間の姿、つまり、「ナザレ出身の、大工」であり、救いを求める人々と語り、人々の話を聴き、病の人を癒し、また慰め、励ました方、時には至らぬ人を叱責し、人々と共に食べ、飲み、また笑い、不正に対しては怒り、人々の悲しみを前にしては泣き、そして、一人祈る方。そうした具体的な生活の中で生きた、肉体を持った人間であるイエス様が、それこそ神様の姿であるというわけなのです。
そのイエス様はまた、人間の罪により(彼の裁判と処刑の際に、人間が見せた罪の姿のゆえに)、十字架につけられ、苦しみを持って、死なれます。それは、いいかえれば、人を死に至らしめる罪によって苦しむ人々と同じ痛みを、神様自身が負ったということを表します。またその死から三日後にイエス様が復活されたことは、神様が人間の罪を許し、人々を罪から解放することを示しています。そのイエス様の姿にこそ、神様が現れている、と聖書は証言しているのです
さて、今日のヨハネ福音書の日課の、前半で語られているのは、「真理の霊」すなわち聖霊の働きについてです。
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」
ここでは、聖霊は、「弟子たちを導き」、「真理をことごとく悟らせる」とされています。「聖書に記された真理」が、解き明かされるというのです。また、イエス様から受けた「言葉」を語り、これから起こることを弟子たちに「予告」するとされます。そして、聖霊が、イエス様の言葉や業を弟子たちに伝えることは、そのままイエス様をほめ讃えること、(称賛し、栄光を与えること)」であると記されています。
別な個所では、聖霊は、弟子たちにイエス様の言葉やわざを思い出させてくれ、また人間の罪と神様の正義と裁きを明らかにすると、あります。この「真理の霊」であり、「別な助け主」である聖霊が働くとき、弟子たちは、イエス様の出来事、言葉とわざを証言することが出来るというのです。
これは、もう一つの、神様との出会いを示した言葉であるともいえます。つまりそれは、生身のイエス様の姿、地上でのイエス様を知らない世代の人々にとっての、神様との出会いを表しているのではないかということです。
イエス様の弟子たちよりも後の時代の人々は、イエス様と、直接顔と顔を合わせるという仕方では、確かに出会ってはいません。「天に昇られた」イエス様は、地上には以前のようにはおられないからです。
しかし、聖霊が働くことによって、イエス様を信じ、聖書を読む者に、イエス様の言葉とわざを、「思い出させ」、また「真理を悟ること」ができるようにさせる。そして、イエス様の出来事について証することができるようにさせる。言い換えれば、聖霊が人に臨むことによって、その人もまたイエス様を自ら「体験する」ことが可能になるのです。
この「イエス様を体験すること」自体が、神様との出会いであるということができるわけです。
また、この聖霊が人に臨むことで、人は自分の周囲に起こる出来事の中に、例えば、人との出会いやつながりの広がりを通して、聖書に記されたイエス様が示した「真理」を、見出すという経験を持つことがあります。聖書が何を語っているのかを、自分の体験の中で見つけるわけです。自分の経験を通して聖書を読んで、イエス様の「真理」に触れるとき、人は聖霊の働きを通して、聖書を通して、神様と出会うことが出来るのです。
私たちが、日常の出来事の中で、聖書の言葉を思い出し、悟らされていることをふと感じるとき、または生活のあらゆる場所で、人との出会いや、人と人の関わりを通して、自分が今、聖書の言葉を「体験し」、他の人を通して、イエス様に出会っていることに気づかされるとき、実は聖霊が働き、私たちを、イエス様と一体である神様と出会わせているのです。
聖霊はあらゆる機会を通して、人に働きかけ、人を動かし、信仰を呼び起こすのです。
フィリッツ・アイヘンバーグという画家の作品に、「炊き出しに並ぶ人の列」という版画があります。彼は、ドイツのユダヤ人家庭に生まれましたが、1930年代、政権を握ったナチス党によるユダヤ人迫害から逃れるために、家族とともにアメリカに亡命しました。彼はあるとき、ニューヨークの公園で教会の炊き出し(食料配布)の様子を眺めていて、ふと自分自身に「キリストはどこにおられるか」と問いかけました。そして、彼は、この作品を描きました。彼は、イエス様は、炊き出しを配る側ではなく、炊き出しを受け取る人たちの側にいることを見い出したのです。
福音書が伝えるイエス様は、常に群衆の中におられました。たとえば、イエス様が洗礼を受ける場面では、彼は洗礼者ヨハネの前に列を作って待っている人々の中におられました。また、彼は弟子たちに、次のような例話を語っています。再臨した「人の子」によって、永遠のいのちを受けることができるのは、「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いたときに飲ませてくれた」者である。なぜなら、「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである。」からだ、と(マタイ25章35~40節)。だから復活されたイエス様は、この炊き出しに列に並ぶのだと。
推測でしかないのですが、このときのフィリッツ・アイヘンバーグの上には、聖霊が臨んでいたのではないかと思うのです。だから、聖霊がイエス様のわざや言葉を彼に「思い起こさせ」、彼は、その炊き出しを待つ人々の列の中に、イエス様を見い出すことができたのではないでしょうか。
今ここで働く神様の力。それを見出していくとき、人は神様と出会います。この問題がまだまだ満ちている世界で、その場所に生きている限界を抱えた人々を、それでも愛し、働かれている神様の関わりを通して、人は神様が存在することを体験します。
教会の務めの一つは、今ここにいる神様を証言することだといえます。神様が今も聖霊を通して、ここで働いていることを証言することです。また、神様の正義と公正とがこの地上に介入して実現しつつあることを証言することです。来るべき苦難のとき、試練の時に備えさせるために、人々を励まし、力を与え、勇気を与え、癒し慰めていることを証言することです。
そしてもう一つの務めは、聖霊を通して、この世界のただ中で、イエス・キリストを信じる人々を起こし、その人々の群れを通して、さらなる人と出会い、縛られていた人を解放し、見捨てられていた人を回復し、病んでいた人、不自由の中に置かれていた人を癒し、慰めていくことです。
それは、教会と私たち一人一人の信仰者が、祈り、「イエス様の愛の言葉とわざ」を、この現実の世界で実際に形にしていくことです。人々の思いと祈りを執り成し、人々と寄り添い、彼らを慰め、労り、励まし、支え、彼らに具体的な助けを与えることで、私たちキリスト者は、世界に神様の実在と愛を、証言してくことが出来るのです。イエス様がそうであったように、「共に生きる者」となっていくことが、その証なのです。
そのためにも、教会はその言葉と感性とを磨かなくてはならないでしょう。
最後に今日の使徒書に日課で、使徒パウロは、次のように書いています。(ローマ書5章1節以下)
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」
「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」
聖霊によって、私たちキリスト者の心には神様の愛が注がれている。だから、私たちは「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがない」と信じることができると。
神様が私たちの思いと口と言葉とを清めて下さいますように。
そして、私たちの言葉とわざを通して、私たちがお互いに力を与えあい、励まし合うことができますように。
また、私たちの言葉とわざを通して、また心を通して、祈りを通して、わたしの隣人を励まし、力づけることができますように。
聖霊よ、私たちに強く臨んでください。

2025年6月8日
「聖霊の力が
聖霊降臨祭
働いて」
使徒言行録
2章 1節~13節
今日、私たちは聖霊降臨祭を迎えました。イエス様が天に上げられてから、しばらくして弟子たちの上に聖霊が降ったという出来事を記念する日です。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、
“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
使徒言行録に記された聖霊降臨の様子は、非常に不思議な体験、神秘的な体験として描かれています。弟子たちが聖霊に満たされた瞬間、彼らは「家中に響く天から吹いてくる激しい風の音」を聞き、一人一人の上にとどまる「炎のような舌」を一つの映像(ヴィジョン)として目にしました。それは一つの奇跡であり、そこに記されたようにしか表現しえないことでした。
「天から吹いてきた激しい風」は、神様の息ともいえます。旧約聖書の創世記に記された「天地創造」の物語では、土の塵で形作られた人の鼻に、神様は息を吹き込み、人(アダム)にいのちを与えます。風の音は、いのちを与えた神の息の音です。
「炎のような舌」は、かつて洗礼者ヨハネがした預言、すなわちイエス様は火と聖霊による洗礼を人々に授けるという預言が、「その時」成就したことを告げています。
そして、舌は、「(弟子たちは、)『霊』が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し始めた」ことと関わってきます。聖霊は言葉の賜物として現れたのです。弟子たちは特別な教育を受けた経験があるわけでもありませんでした。彼らは漁師や農民、あるいは取税人として働いてきたものでした。日常語としてのアラム語を話し、せいぜいギリシャ語を少しばかり理解していたかもしれません。その彼らが、地中海世界から来た「あらゆる国」の人々に解る言葉で、福音を語り始めたのです。それは聖霊の賜物でした。異なった言葉、異なった国々の言葉で語るという賜物です。
興味深いことは、聖霊が(炎のような舌として)、「分かれ分かれに現れ、一人一人の上に」とどまったことです。それは一つには、弟子たち一人一人が持っていた個性に応じて話す力を得たということです。あるいは、弟子たち一人一人が固有の仕方で言葉を話す力を得たといえるかもしれません。雄弁に話すものもいれば、訥々と話す者もいたでしょう。それはまた、ここにいる私たち一人一人と同じように、自分自身の体験を通して、福音を証しするということです。聖霊は、その個々の弟子たち一人一人を認め、(現代の用語で云えば「多様性」を認めて)臨んでいるのです。聖霊は、一人一人に異なった形や仕方、体験を通して臨むということです。聖霊降臨の出来事は教会の誕生といわれますが、言い換えれば、教会とは、多様な経験をしている人たちが、それぞれにイエス様と出会い、呼び出され、召し出されている群れです。多様性の上に成り立つ交わりだということです。
そして、ここで起こった奇跡は、また宣教の奇跡であるといえます。なぜなら、聖霊を与えられたことで、弟子たちは言葉を得るからです。それも新しい言葉を。そして彼らは大胆に語り始めました。それによって、語っている弟子たち自身が変えられました。聖霊は彼らに、新たにいのちを、力を与えました。弟子たちは、イエス様の福音を語り、イエス様のわざを行う者へと変えられていったのです。
聖霊降臨祭を迎えるにあたって、私たちもまた、この弟子たちに起こった不思議な奇跡を、追体験したいと思います。心のすべての扉を開いて、神様からの聖霊を受けましょう。
聖霊降臨は、弟子たちにとっては、また霊のいのちと信仰の復活を意味しました。考えてみたいのですが、弟子たちにとっては、イエス様との出会いは、彼らが自分の人生を変えることが出来るし、変わることが出来ることを教えてくれました。イエス様の言葉は、弟子たちに新しい自分になること、新しい関係を築くことが出来ることを教えてくれました。弟子たちはその可能性を見つけたのです。その弟子たちにとって、イエス様の十字架による処刑は、彼らを絶望に追いやりました。弟子たちは散らされていきました。しかし、イエス様は復活されることで、弟子たちを、もう一度集め、励まし、勇気づけました。そして、今度は、聖霊を通して、新たに遣わされる者として、彼らを新しい務め、イエス様の福音を広く宣べ伝える務めへと、召し出していったのです。
さて、聖霊の働きは、弟子たちとは別に、人々の間に新しく聞く能力をももたらしました。その場に集まっていた人々は、「誰もかれも、自分の故郷の言葉で舌たちが話すのを聞き」、「どうして我々は、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」と訝しく思い、「彼らが我々の言葉で神の偉大な業を語っているのを、聞こうとは」と驚き、ペトロの言葉に「耳を傾け」、「これを聞いて大いに心を打たれ」るわけです。
弟子たちの上に聖霊が降ることで、彼らが語った言葉は、多様なコミュニケーションの機会を人々の間に回復し、宣教を可能にしたのです。それは、創世記に記された、かつてバベルの塔で起こった「異なった言語による混乱」を修復させることをも意味しました。
と同時に、その宣教の言葉は、人々の耳を開き、心を動かす一方で、疑問と戸惑い、嘲りをも呼び起こしました。「彼らは酒に酔っているのだ。」という声があります。「彼らはガリラヤ人たちではないか。」と戸惑う声があります。受け入れるかあるいは嘲るか、どちらの態度をとるにせよ、人々はその言葉に激しく揺り動かされたのです。そして、聖霊の語らせる言葉は、信仰者を起こしました。福音を真剣に受け止めようとする者を起こしていったのです。
では、改めて、聖霊とは、いったいどんな存在なのでしょうか。
新約聖書では、先ず聖霊は、神様からの力として少女マリアに働き、彼女を身籠らせ、この地上にイエス様を誕生させました。
聖霊はまた、イエス様の洗礼に際して働き、彼に力を与え、祝福しました。そして、会堂で説教するイエス様に働いて、福音宣教の使命、すなわち「貧しい人に福音を告げ知らせ」、「囚われている人を解放し、目の見えない人に視力の回復を告げ」、「圧迫されている人を自由にする」ことを、説教を通して明らかにさせました。
あるいは、ヨハネ福音書には、聖霊とは、地上のイエス様に代わる別な助け主と、説明されています。聖霊は、「弁護者」であり、「真理の霊」、またキリストについて「証しをする」、つまりイエス様とは誰であり、何のために来られたのかを明らかにする、とあります。(15章26~27節) また、聖霊は、「真理をことごとく悟らせ」、「(神から)聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがた(弟子たち)に告げる」と言われています。(16章13節) 聖霊は、「真理を悟らせ」、諦めてしまった心が再び希望を見いだし、もう一度目的を定め直して、活き活きと燃えることが出来るように助けてくれるのです。それは、たとえばエマオに赴いた二人の弟子が、イエス様が十字架によって処刑されたことで一旦は絶望していたにもかかわらず、復活されたイエス様と出会うことで「心が燃えた」ように、聖霊は、キリスト者の信仰をいよいよ「燃やし」、強め、堅く保つのです。今日の日課もまたそのことを証しています。聖霊によって、弟子たちは励まされ、言葉の賜物を与えられていったのです。
あるいは、パウロによれば、聖霊は、私たちの心の内を神様に執り成してくださいます。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、
“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」(ローマ8章26~27節)
そして、この聖霊は、二千年前の弟子たちにだけ働いたのではなくて、今も人々に直接働きかける神様からの力です。聖霊が働くことで、人はその心の目が開かれ、神様からの恵みと賜物に気付き、それを受け止め、感謝することができます。それが信仰であり、それゆえ、信仰は神様から与えられる賜物なのです。わたしたちは誰も、聖霊によらなければ、「イエスは主である」と表明することができません。(第一コリント12章3節) 洗礼は、その信仰を、神様と信仰の共同体に対して目に見える形で証しすることであり、同時にその信仰を明らかにする応答への神様からの祝福のしるしなのです。
最後に聖霊の働きは、自由なものです。「風は思いのままに吹く。」と書かれている通りです。(ヨハネ福音書3章8節) 聖霊の働きを、人間が決めつけることも、制限することも出来ないのです。
聖霊降臨、それは弟子たち一人一人が神様から、イエス様と同じわざを行い、言葉を語る力を与えられた出来事です。そして、そのことを通して、多様な宣教の言葉が与えられて、働き、この世に教会を、聖徒の交わりを誕生させたのです。
聖霊は、宣教する力であり、教会を全世界へと押し出す力の源です。そして、聖霊は、もちろん、今も、私たちにも働いてくださいます。そして、そのことを私たち一人一人が体験してきているのではないでしょうか。
人によっては聖霊降臨の物語に描かれているような神秘的な仕方で、聖霊の存在を認識する場合もあります。あるいはまた、別な仕方で聖霊を体験することもあります。私たちが、自分で聖書を読み、説教や証しを聴く中で、イエス様と出会い、人生の道標を見いだしてきたのは、聖霊の働きによるものです。また、私たちが一人で、あるいは人と共に祈ったり、他の誰かから執り成しの祈りを祈られることを通して、慰められ、「心が温められ」、癒され、励まされるならば、そこに聖霊は確かに臨み働いているのです。
また、私たちの教会が、この地上ですべての被造物のいのちと尊厳を守り、人々の和解と癒しのわざを行っていこうとするとき、聖霊はそこに働いています。その働きに心をよせて祈るとき、そこに聖霊は臨んでいます。聖霊とは、現臨する神様であり、キリストなのです。それゆえに私たち教会は、聖霊に聞くことを止めてはいけないし、常に聖霊が私たちに働き、「教え」、「思い出させること」を求めねばなりません。また、私たちは、どのような決断をする場合でも、聖霊を堅く信頼することが許されています。
聖霊は、この世界のただ中で、キリストによって結ばれたものの共同体、教会の上に臨み、今も働いています。しかも、聖霊は、私たちをキリストと結び付け、明日へと「前進させ」ます。
聖霊が、今も私たちの上に、また私たちを通して強く働いていることを感謝したいと思います。私たちは、聖霊の導きを信じて、祈り求めて、歩んで行きたいのです。

2025年6月1日
「キリストは
主の昇天主日
天に昇り」
使徒言行録
1章 6節~11節
ルカによる福音書
24章 節~53節
今日、私たちは主の昇天主日、復活されたイエス様が天に昇られた出来事を記念する主日を迎えています。
今日の日課、使徒言行録1章6節~11節(とルカによる福音書24章)には、復活されたイエス様が天に挙げられ、弟子たちと別れる様子が描かれています。
復活された後、40日にわたって弟子たちと共に過ごしたイエス様は、その最後のときに弟子たちに一つの約束をしました。
「あなたがたの上に聖霊が降る。あなたがたが力を受けるために。そしてエルサレムだけでなくユダヤとサマリヤ全土で、また地の果てに至るまで、わたしの出来事の証人となる。」
弟子たちは、神様から別な助け主である聖霊を受けて(身に帯びて)、宣教のための力を与えられ、全世界に向けて、イエス様の出来事、福音の証人となる、と。それは、弟子たちに宣教の使命を託すことでもありました。そして、この後に、イエス様は弟子たちの目の前で、天に挙げられていったのです。
「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」(使徒言行録)「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(ルカによる福音書)
これがイエス様の昇天の物語です。
このイエス様の昇天については、私たちは、使徒信条の中で、「(主イエス・キリストは)復活し、天に上り、全能の父なる神の右に座し、」と告白しています。
イエス様の昇天、それは先ず、イエス様が、神様のもとに帰り、神様の右に座した、つまりイエス様がこの世の権力すべてを超越する存在になったということです。そのことは、エフェソの信徒への手紙にも記されています。
「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェソ1章20節~23節)
これはつまり、キリストであるイエス様が、この地上の世界の権力や支配をはるかに上回る力を、今、持っているということです。イエス様が「神様の右に座す」ことで、この世界の力は、過ぎ去るもの、いずれは失われる存在であり、限界のあるものであることが露わにされたということなのです。そして、「神の右に座して」イエス様は、「御座を高く置き、なお低く下って天と地を御覧になり」(詩編113篇)、神様の世界統治に参与されているのです。その様に、イエス様は、私たちを見守っているということなのです。
イエス様の昇天はまた、イエス様が父なる神様のもとで、私たちの祈りを聴き、私たちのために執り成してくださることを表しています。それは、新約聖書に書かれています。へブル書9章では、「キリストは、今やわたしたちのために神のみ前に現れてくだ」(24節)さったとあり、また7章では、「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、ご自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできにな」(25節)るとも書かれています。あるいはまた、ローマ書八章では、使徒パウロが「死んだ方、否、むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださる」(34節b)と記しているとおりです。なぜなら、イエス様は、神様と私たちを和解させるために、私たちのすべての罪を十字架の上で負われることで、私たちの代理人となられたからです。それゆえに、「ただイエスの御名によってのみ、われわれは祈ることができる」(ボンヘッファー)のです。
また、イエス様が天に挙げられたことは、ある意味では、イエス様の地上での不在を示しています。つまり今現にこの地上には、イエス様は二千年前に生きていたようには(肉体を持っては)存在していない、という意味です。地上におけるイエス様は不在なのです。しかし、それは同時に救い主キリストであるイエス様の遍在、つまりイエス様はどのような場所であっても、どのような時間であっても存在しておられるということを意味しています。イエス様は、二千年前のパレスチナという場所と時間にのみ限定されるのではなく、時間や空間を超えて、もちろん今この瞬間も、人と、私たちと共にあるということなのです。
最後に、イエス様が天に挙げられたことによって、私たちもまた、本質的にイエス様と共に天にある存在とされていることが、明らかにされています。エフェソ書は、「罪のために死んでいたわたしたちをキリストとともに生かし(中略)、キリスト・イエスと共に復活させ、共に天の王座に就かせてくださいました。」(二章六節)と記しています。つまり、私たちは地上を歩みながらも、将来において、天に生きているのです。「あなたたちは国籍を天に持つ」。その約束のもとに、私たちの生はあるのです。
さて、この昇天の物語は、イエス様が挙げられて行った天を見つめて立っている弟子たちに、白い服を着た二人の人、神様の使いが語る言葉で終わっています。
「ガリラヤの人たち、何故天を見上げて立っているのか。天に上げられたイエス様は、あなたがたが見たのと同じ様子で、またおいでになる。」
「天を見上げて立っている」弟子たちの行動は、ある意味では、自然なものであったかもしれません。イエス様が復活されただけでなく天に挙げられるということ、それを目撃するという体験は、ふつうでは考えられないことです。それは、まさにイエス様が神様から送られてきた存在だったという強い証明ですし、それを目撃できたことに、弟子たちは、感動したのではないでしょうか。感動、感激に心が震えて、いつまでもその余韻に浸っていたい、というか時間が経過するのも忘れていたのかもしれません。
「ガリラヤの人たち、何故天を見上げて立っているのか」という神様の使いの言葉は、イエス様との別れを惜しんでいる弟子たちを軽く叱っているようでもあり、またその感動の余韻に浸る彼らを現実に連れ戻しています。「おいおい、いつまでも天を見上げているんじゃないよ」とでもいう調子かもしれません。
と同時に、神様の使いは、もうひとつのうれしい知らせを告げてもいます。「天に上げられたイエス様は、あなたがたが見たのと同じ様子で、またおいでになる」と。イエス様は弟子たちと再会を約束して行かれたのです。
弟子たちは、たとえ姿は見えなくても、「自分たちと共にいるイエス様」を実感し、やがて再び会うという約束と希望を確信しました。それゆえ弟子たちは、喜びを持って、神様を賛美し、祈り、「エルサレムだけでなくユダヤとサマリヤ全土で、また地の果てに至るまで、わたしの出来事の証人となる」という務めを果たして行ったのです。
イエス様が天に挙げられた出来事は、イエス様によって始められた福音宣教のわざが、次の段階に入ったことの証です。それはつまり、私たちキリスト者にとって、また教会にとっては、再臨するキリストを待つ時間の始まりだということです。
イエス様がこの地上で一人の人間として生まれ、福音を宣べ伝えることによって、神様はこの世界に介入され、苦しみや悩みに沈んでいる人々に解放を告げ、希望と救いをもたらされました。人々は、イエス様の存在によって、神様が共にいることを実感しました。キリストの再臨とは、いわばその救いのわざの完成の時です。神様のみ心が実現するときであり、救いを求める人々、「主の祈り」に願いを込めて、「主よ、来てください(マラナ・タ)」と祈る人々が、苦しみから解放され、傷を癒され、涙を拭われるときです。生きている一人一人のいのちが尊重され、また神様から祝福を受けるときです。様々な争いがなくなり、人々を憎しみではなく愛が支配し、平和が訪れるときです。人間が自然を破壊することがなくなり、世界に調和がもたらされるときです。究極の出来事を意味します。しかし、その救いのわざは未だ終わっていません。世界の現実は未だ変わっていないからです。だからこそ、キリスト・イエス様は再び来てそのわざを完成させるのです。
今この時代、大切なのは、私たち一人一人が、そのキリストの再臨までの間を、どの様に待つのかと云うことです。また教会として、キリストへの信仰を持つ人々の群れとして、何をどうなすべきかと云うことです。その課題の前に、私たちは立っています。福音書に記されたイエス様の譬え話―「使用人たちの前に、出かけていた主人が突然帰って来る」譬え話―が示しているのは、私たちは再び来られるキリストを、ただ漫然と受け身で待っていてはいけないと云うことです。
先ず、私たち一人一人が、何度でもイエス様の愛に気づいて、感謝して、そして、イエス様のみ心に適うように、自分の人生を生きると云うことです。「自分を愛するように、隣人を愛する、大切にする」生き方を心がけると云うことです。それぞれが、自分の「救い」を度外視して、「飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、旅をしている人に宿を貸し、裸の人に着せ、病気の時に見舞い、牢にいるときに訪ねる」ような生き方ができるとするなら、それは神様の御心に適ったものとなるでしょう。
そして同時に、教会として、キリストが再び来られるその日まで、「時が良くても、悪くても」根気よく、痺れを切らさずに、約束の成就を信じて、あきらめないで語ること、この社会の中で神様の御心に適ったわざを、その時々に適切に、「今、ここから、始める」ことです。今、苦しんでいる人たち、困窮の中にいる人たち、神様の愛と正義と公正の実現を求めている人たちを覚えて、祈ること、連帯することです。できる限りの具体的な助けを行っていくこと、重荷を担い合い、人々を癒し、慰め、励ますことです。それが神様の愛を宣べ伝えることです。
福音宣教は、イエス・キリストを信じる一人一人が託された使命です。そのために私たちにも聖霊が与えられています。その力によって、福音を形にしていくこと、それが私たちのキリストの再臨への備えなのです。
待ちましょう。弟子たちのように、私たちも心を一つにして祈り、人々の暮らしの中で、イエス様の教えを伝え、癒しのわざを行いながら。主イエス・キリストが再びこの世界に到来する約束を信じて、希望を持って待ちましょう。
「主よ、来てください」と。
2020年8月2日 (平和主日)
「平和の基」
ヨハネによる福音書
15章9節~12節
イエス様は、逮捕されて十字架に架けられ処刑される前に、弟子たちと共にとった食事の席で、告別の説教をされました。今日の日課は、その告別説教の一部です。
ここでイエス様は、弟子たちに先ず、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」と勧めます。次に、イエス様の「愛にとどまる」方法が明かされます。それは弟子たちが、イエス様の与える「掟」を守ることだと言うのです。
その「掟」とは、何でしょうか。それは、弟子たちが「互いに愛し合い、お互いを大切にする」ことだとイエス様は言われます。しかも、イエス様ご自身が弟子たちを愛されたように。またその前提として、イエス様から弟子たちに向けられた愛は、父なる神様がイエス様を愛するのと同じものだと、言われているのです。
イエス様は、弟子たち一人一人を大切に思い、受け入れ、「愛され」ました。
イエス様の言葉や教えをなかなか理解することができなかった弟子たち。しかも、イエス様が逮捕された後、否認したペテロをはじめとして、彼らは捕まるのを恐れて、逃げて姿を隠してしまった。にもかかわらず、イエス様は復活の後、弟子たちを再び集めると、イエス様の教えと「福音」を伝え、癒しのわざを行わせるために、聖霊を与え、派遣していくのです。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
それは、人が互いに尊敬を持ちあうことです。相手の存在を認めていくことです。また、お互いに、相手の負っている問題や課題といった重荷を担い合うことです。労苦を分かち合い、理解し合い、互いのために祈り、心身共に支え合おうとすることです。
あるいは「他者のための存在」として生きるということです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
人々の負債を贖うために、自ら十字架に架かるという仕方で愛を示されたイエス様に倣って、弟子として、キリスト者として生きていくことです。自分の人生を通して、神様の愛を示すことです。そして、「神様の正義と公正」が地上で実現することを求める生き方をすることです。
イエス様が示してくださった生き方、それは一つの理念とも言えるかもしれません。
「お互いに愛し合いなさい。」「あなたの敵を愛しなさい。」「あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。」
それらの言葉は、今現代の人間の厳しい現実の前では、無力にも感じられる時があります。今も昔と変わらずに、暴力が横行し、憎しみが連鎖する時代です。その中では、イエス様の言葉は、何の歯止めにもならないようにさえ感じる時があります。
しかし、イエス様はその生涯を通して、その「理念」を貫かれました。その頂点が十字架であり、復活であったわけです。そして、そのイエス様から力をいただいて、例えば、マーチン・ルーサー・キングは、黒人の人権のために、解放のために、「公民権運動」を闘って行きました。幾度も暗殺の強迫に曝されながら。
もちろん、注意しなければならないことはあります。
「互いに愛し合いなさい」という言葉を、人が狭い意味で理解するならば、単に自分たちの「仲間内のことだけ」を意味することに終わってしまいます。そうすると、自分の「仲間」でない者を、差別したり、排除することに簡単につながってしまいます。
最近の、黒人が警官に殺害された事件の後に起こった抗議のデモと、そのとき掲げられた「黒人が生きることは重要だ」(Black lives Matter)というスローガンは、「公民権運動」から六十年も経過したのも関わらず、アメリカ社会の中で、黒人がいまだに社会の周縁に置かれている、あるいは「二級市民」としてみなされている現実を表しています。
と同時にそれは黒人だけに限られたことではなくて、ヒスパニック系の人たち、アジア系の人たちにも当てはまることでもあります。移民や難民という形でアメリカで生活している人たちの多くが、「黒人が生きることは重要だ」(Black lives Matter)というスローガンに共感しているのは、その事実を示しています。
「キリスト教」が建国の理念になっているはずのアメリカで、「互いに愛し合いなさい」というイエス様の教えが、特定の人種の仲間内でだけ通用する言葉になっていないかどうか、考えてしまいます。
「わたしがあなたたちを愛したように、お互いに愛し合いなさい」
日本の教会もまた、同様の問題を抱えています。私たち自身が、「お互いに」という言葉を、意識してか無意識のうちにかは別にして、仲間内にだけ限って使っていないかどうかは、省みる必要があるかもしれません。
「わたしがあなたたちを愛したように」という言葉は、なによりも、何ら条件なしに、そのままの私/あなたをイエス様が受け入れ、その思いと願いを聞き、「あなたは私の目に尊い」と認めてくださったということを意味しています。あるいは私/あなたの「罪」、「負債」、「重荷」から、私/あなたを解放し、自由にしてくださったことを意味します。そのようにイエス様から「大切にされた、愛された」私たちが、どうして私たちの出会う相手を、条件づけて制限したり、差別したり、はたまた排除することが赦されるでしょうか。
「わたしがあなたたちを愛したように、お互いに愛し合いなさい」
この言葉の意味を、何度も繰り返し、しっかりと噛み締めることが、キリスト者として生きようとする私たちには、必要であると思うのです。
私たちは、毎年この季節に、平和主日の礼拝を守ります。
それは、一つにはかつて起こった戦争を振り返り、その犠牲者を弔い、祈るためにです。そして、二つ目には、今の世界が平和になることを祈るためにです。
なぜなら、平和とはいえない世界が現実にあるからです。
日本社会は、そこで暮らす人々が、まだまだ安心して暮らせない状況にあるからです。
昨年の平和主日の際に、日本福音ルーテル教会では、社会委員会が作成した「平和への派遣を求める祈り」を、全国の教会で祈りました。
そこでは、次のような祈りがささげられました。
「平和をつくり出すどころか、現実から目をそむけ、平和から遠ざかろうとするわたしたちを強めて、わたしたちを平和のために遣わしてください。」
「軍備を増強し、特に沖縄では基地を拡張して、戦争が出来る国へあゆんでいこうとする力があります。」
「道徳の教科化をはじめ、教育によって子どもたちの心をコントロールし、偏狭な国家主義へと導こうとする力があります。」
「移民や難民の人たちを、ともに暮らす仲間として受け入れず、権利や尊厳をうばったまま、弱い立場に押し込めておこうとする力があります。」
「性的マイノリティであるために、社会から排除されたり、傷つけられたり、生きにくさを負わされている人たちがいます。」
「民族、国籍、宗教、また性別や障がいなど、異なった背景をもつ人たちに対する憎悪をあおり傷つけることによって、何かを守ろうとする人たちがいます。」
「原子力発電所の存在と事故のために、放射能の苦しみの中におかれた人たちがいるにもかかわらず、なお脱原発にむかえないでいる現状があります。」
「わたしたちが心を閉ざしている多くの課題があります。わたしたちが、知るべきことを知り、語るべきことを語り、変えるべきことを変えていくことが出来るように、わたしたちに勇気を与えてください。そうして、わたしたちとこの教会が、正義と公正にもとづく平和をつくりだすことができるように、あなたが、わたしたちを遣わしてください。平和の主、イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン」
「現実から目をそむけること」も、敵の存在を想定して「軍備を増強すること」も、「イエス様が愛されたように、お互いを愛すること」にはなりません。「偏狭な国家主義を唱えること」も、「移民や難民の人たち」や「性的マイノリティの人たち」を、「ともに暮らす仲間として受け入れず、権利や尊厳をうばい、弱い立場に押し込めておこうとすること」も、「お互いを愛すること」ではなくて、「社会から排除し、傷つけ、生きにくさを負わすこと」でしかありません。ましてや、「民族、国籍、宗教、また性別や障がいなど、異なった背景をもつ人たちに対する憎悪をあおり傷つけること」は、平和をもたらすことにはならないのです。
平和を創り出す者とは、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩む」者である、と聖書は語ります。「イエス様が人々を愛されたように、人がお互いを愛すること」を平和の基として生きたいのです。
人の尊さを守り、神様の前に謙虚になって、イエス様が示してくださった姿勢と、その信仰に立ち返ること、それが平和を生み出していくのです。
「どうか私たちを平和の器として用いてください。」アーメン
2020年7月26日 (聖霊降臨後第8主日)
「天の国の実現」
マタイによる福音書
13章31節~33節
+44節~50節
イエス様は、福音書の中で、「神の国」あるいは「天の国」について、いくつものイメージを、譬えの形を取って示しています。因みに、ここで語られる「天の国」は、神様が支配される世界のことを言います。では神様が支配する世界とは、どんな世界なのでしょうか。
私たちは、「主の祈り」の中で、「み国を来たらせて下さい。み心が天においてと同じように地上でも実現しますように」と祈ります。ここでいう「天」とは、神様のみもとのことで、いわば神様の意図する世界が「天」では実現している。その神様の「み心」が実現している「天」がこの地上に到来して、神様の創造された全世界・全宇宙が「神様の正義と公正」、「神様の愛」に満たされるようにと願うことです。それが、「み国が来ますように」という祈りなのです。
イエス様が語る「天の国」。ただ、そこには、具体的に「天の国、神の国はこのような世界です」という言い切った形では、その姿は描かれてはいません。ほとんどが譬えで、漠然と示す表現でしかありません。今日の日課も、そうした譬えとして語られた「天の国」についてのお話です。
先ずイエス様は、「天の国」を「からし種」に譬えています
「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
そこには、豊かなイメージがあります。本当に小さなからし種が畑に蒔かれて、芽を出して成長すると、大きな樹になっていく。その樹の上に鳥が巣を作る。
からし種は、いのちを秘めています。それは、成長して育っていく樹のいのちです。
讃美歌21に収められている、「球根の中には」という曲があります。
「球根の中には 花が秘められ、/さなぎの中から いのちはばたく。/寒い冬の中 春はめざめる。/その日、その時をただ神が知る。」
球根から花が咲くのも、さなぎの中から蝶が羽化するのも、それは、球根そのもの、さなぎそのものが秘めているいのちの力です。その力がどこから来るのかを人はまだ知りません。
からし種は、ゴマよりも小さな種です。それが大きな木に育つ。その種の中には、木のイメージがすでに組み込まれているわけです。その不思議さを思います。それは自然が起こす奇跡です。
次にイエス様は、「天の国」を「パン種」に譬えています。
「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
人類の歴史上、小麦が栽培され始めたのは、紀元前一万五千年から九千年前といわれています。発酵させたパンが登場するのは、紀元前四千年から三千年前。それもエジプトで偶然誕生したようです。イエス様も、母マリヤが小麦粉に酵母を混ぜて捏ねていくのを見ていたのでしょう。そして焼かれた、発酵したパンを食べていたことでしょう。
パンを膨らましていく酵母・「パン種」。小麦粉と混ぜ合わされることで、パン生地を膨らましていく。小麦粉に「パン種」を混ぜるとどうして膨らむのか、一九世紀になるまで、その仕組みと理由は科学的には解明されていなかったといいます。
パンが発酵するのは、酵母(パン種)が、小麦粉の中の糖を取り込んで炭酸ガスとアルコールを発生させることで起こるといいます。でも、そのパン種・酵母が持っている力の源、酵母菌のいのちは、やはり謎といえば謎です。これも自然の起こす奇跡です。
「からし種」と「パン種」の譬え。どちらも表しているのは、いわば「天の国」の持つ、いのちの力です。「天の国」は、それ自体が生命力を持ち、小さなものから大きな存在へと自分から成長していくのです。そしてそれは、人が無理やり成長させたり、発酵させたりすることのできないものでもあるのです。
また、「天の国」は、「からし種」や「パン種」の譬えが示すように、豊かさをもたらします。樹の上で鳥が憩うように、他のいのちを養います。また、「パン種」は自分の姿を消しますが、小麦粉に作用して、生地を大きく膨らませ、そしてそれは、人を養うものへと変化していく。「天の国」、それはいのちをつなぐものでもあるかもしれません。
「天の国」、それはいのちに満ち溢れた世界を言うのかもしれません。樹々が生い茂り、その枝々で鳥が囀り、日の光がやさしく降り注ぎ、静かさと平安に満ちた世界。
もちろん、そこは貧しさや格差のない世界です。人が生まれや職業で差別されることのない世界です。
そこでは誰も泣くことがなく、傷つくこともなく、笑顔で過ごすことが出来ます。その世界は慰めに満ちて、傷ついた人が癒される世界です。一人ひとりがその存在を認め合い大切にする世界です。もちろん、戦争や争いのない、平和に満たされた世界です。
もしも、そのような世界に出会ったとしたら、たぶん私は何をおいてもその世界に住みたいと思うでしょう。
44節から続く「畑の隠された宝」と「真珠」の譬えは、このような「天の国」の持つ価値の大きさを表しているといえます。
二つの譬えとも、「農夫」と「商人」が、それぞれ価値のある何かを見つけるわけですが、一方は畑に埋まっていて、偶然、予期せぬ形で、しかも予想もしていなかった者の前に姿を表す「掘り出された「宝」であり、他方は「商人」が必死になって探し求めて、ようやく見つけ出される「真珠」という具合に、見つけ方は異なっています。しかし、どちらの譬えでも、「天の国」を見出した人々のとる態度は同じです。
つまり、その「天の国」は、それを目の当たりにした人々が、それまで培ってきたもの全てに匹敵するぐらい、あるいはそれを投げ出してもあまりある価値を持つものとして、姿を表す。あるいは、それぞれが持っている「天の国」のイメージや期待を、はるかに超えるものとして、姿を表すのです。
イエス様が描く「天の国」の豊かなヴィジョン。いのちが生き生きと活かされていく世界の実現。そのような「天の国」が、この地上に実現してほしいと願わざるを得ません。そんな世界が来ることを私は望みます。
現在の世界を眺める限り、そうした世界を望むことは、空想に近く、絵空事に響くかもしれません。生活の格差や不平等、貧しさや失業、飢餓に泣く人たち、苦しむ人たちがいます。病気や障碍を抱えた人たちが、まだまだ安心して暮らせない現実があります。むき出しの暴力が横行し、人がお互いに尊厳を保障され、平和に暮らせない世界がまだまだあります。
しかし、現実の世界がそうではないからといって、よりよい世界が実現することを思い描くのを、あきらめる必要はない。そう聖書は語っています。私たちには、天の国を求めることが許されているし、何よりも、天の国が来るという、神様の約束のもとに生きているからです。
「天の国」のヴィジョンが、私たちに与えられています。神様が望まれるような、人と人との関係や社会を造り出していくこと、イエス様が示された生き方を生きようとすること、神様が創造された世界・環境を守り保っていこうとする働き。それらはすべて「天の国」のヴィジョンを望み見るものです。
日々の暮らしの中で、この世界が良くなること、自分たちの環境や境遇が変化すること、そして、人の命を守り、育てていくことを望んでいる人たちがいます。実に、「天の国」の始まりは、そこここに、実に私たちの生きているすぐそばにあります。
「天の国」の成就は、福音書によれば、「球根の中には」の歌詞に詠われているように、「その日、その時をただ神が知る」のです。ですから、私たちもまた、「世の終わり」のその時まで、「天の国」が実現することを祈り、その兆しを見つけたいし、あきらめずに、求めていきたいと思うのです。
2020年7月5 日 (聖霊降臨後第5主日)
「生き直すということ」
マタイによる福音書
11章28節~30節
人が自分の人生を生きるということは、なかなか大変なことです。自分が思い描いたようには、人生の歩みは進まないのも事実です。常に順風満帆ということはあり得ません。大なり小なり、問題に直面します。そうした問題は、自分で招いたこともあれば、向こうから勝手にやって来るようなこともあります。
競争を強いる社会の中で生きなければなりません。ストレスも感じます。生活の心配があります。病気の心配もあります。何かの生き辛さを抱えて、いじめや差別を受けている人がいます。ある人は、家族関係の葛藤や問題を抱えています。またある人は生きがいが見つからずにいるかもしれません。いろいろな理由で周囲から孤立し、孤独を感じている人がいるかもしれません。
行き詰って袋小路に迷い込んだり、思いがけない失敗の前で、頭を抱え込んでしまう人がいるかもしれません。
生きる上で抱えてしまう様々な心配や課題は、誰にでもあるというわけです。
「わたしのもとに来なさい。労し、重荷を負ったすべての者たち。そうすればこのわたしが、あなたたちに安らぎを与えよう。わたしの軛(くびき)をとって自分に負い、わたしから学びなさい。なぜならわたしは柔和で心が低く、あなたたちは自分の心に安らぎを見出すであろうから。わたしの軛は担いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
今日の日課は、イエス様の招きの言葉です。
軛(くびき)は、家畜(牛や馬、ロバなど)をつないで、畑を耕すための農具や荷車などを引かせる道具のことです。通常、二頭の動物を左右に並べて担わせます。
ユダヤ教の世界では、この軛(くびき)を、知恵、もしくは律法の譬えとして用いてもいます。旧約聖書外典のシラの書には、「足に知恵の足枷をかけ、首に知恵の首輪をはめよ」(六:二四)とか、「軛の下にお前の首を置き、魂に教訓を教え込め。知恵はすぐ身近にある」(五一:二六)という言葉があります。
つまり、「律法を学び、預言者の言葉に耳を傾け、また共同体の長老たちの言葉を心に留めなさい。父祖が重ね培ってきた経験から教訓を学びなさい。それは、生活に指針を与え、平安をもたらすだろう」ということです。ユダヤ人の共同体が、生活する上で必要な共通のルールであり、お互いの自由と生命を保障するもの、それが律法と伝統の知恵、「軛」として譬えられているのです。
ではイエス様の言葉は、この軛としての伝統の知恵を学べと語っているのでしょうか。模範的に律法に従えと勧めているのでしょうか。ここで注意したいのは、イエス様が「わたしの軛をとって自分に負い、わたしから学びなさい。」と語っていることです。
「わたしの軛」とイエス様が語る時、そこでは律法学者や祭司といった人たちが理解してきた律法や伝統とは別の軛、「知恵」、生活の規範がイメージされています。そして、それは「柔和(謙虚)で心が低く」、「担いやすく」、「軽い荷を」運ぶものだといわれるのです。
旧約聖書の律法は、はじめユダヤ人の共同体が、特にエジプトの支配から脱出して、カナンの地(パレスティナの土地)で農業を営み、腰を落ち着けて生活するために、共同体に属する一人一人が、お互いの自由と生活を保障しあうルールとして、神様から与えられたものでした。それはまた共同体の結束を強めて、助け合うためにも必要なものでした。律法とその解釈の伝統は、ユダヤ人社会に生きる人々の行動の判断の基準となっていったのです。
ただ、法律や規則は常に二面性を持ちます。共同体の自由を保障する一方で、共同体のメンバー一人ひとりの生活を束縛する側面も持つからです。律法と解釈の伝統が積み重なり、微に入り際にわたり人々の日常生活に適用されだすとき、それはよりはっきりとなってきます。そして、人が規則や伝統、慣習から逸脱すると、それは共同体の中で罪とされ、咎められたり、罰せられることになっていくのです。
イエス様の目には、このような律法と伝統が、多くの人たち、特に貧しい人たちにとって、生活する上でも、気持ちの上でも、重荷になっている、と映るのです。日々の暮らしの中では、必ずしも律法や細かな規則を守ることが出来ないことも起こります。生活上止むを得ない営みの中で、たとえば「安息日」や「清め」の規定を守らなかった、あるいは守れなかった人々が、律法学者や祭司たちによって、罪人として非難される。イエス様は、そんな律法学者や祭司たち、高い教育を受けた「知恵ある者や賢い者」たちを批判します。
本来人を自由にすべき宗教が、人を不自由な存在においている、と。「人は律法のために生きるのではなく、人が生きるために律法があるのだ。」という福音書の中のイエス様の言葉は、その批判をはっきりと表しています。
イエス様が招きの言葉で用いられる軛という言葉は、一方では人に対して課せられる負担や隷属した状態をも表しています。そして、イエス様は、この招きを通して、先ず何よりも、こうした人々に負担や隷属を強いる律法やこの世(当時のユダヤ人社会)の尺度から、人々が自由になること、解放されるべきことを語っているのです。
と同時に、この世界で生きていくために、この世の尺度に代わる別の軛、生活の規範、つまり新しい生き方を、イエス様に倣って身につけて行きなさいということを示しています。
「わたしの軛をとって自分に負う」こと、それは、イエス様が自ら示した生き方を生きるということです。
それは、たとえばイエス様がそうであったように、「飼う者のない羊のような有様」の人々を見て、はらわたの底から痛みを感じ、人々の感じている痛みや苦しさを、取り除けようとすることです。
それはまた、「互いに愛し合いなさい。大切にし合いなさい」とイエス様が弟子たちに勧められた生き方です。人が互いに尊敬を持って、相手を敬い、大事にすること、愛し合うことをいいます。また、お互いに相手の負っている問題や課題といった重荷を担い合うことです。労苦を分かち合い、理解し合い、互いのために祈り、心身共に支え合おうとすることです。
あるいは「他者のための存在」として生きるということです。人々の負債を贖うために、自ら十字架に架かるという仕方で示されたイエス様に倣って、弟子として、キリスト者として生きていくことです。自分の人生を通して神様の愛を示すことです。そして、「主の祈り」にあるように、神様の正義と公正が地上で実現することを求める生き方です。
またこうも言えます。「イエス様と一緒に軛を担うこと」とは、古い自分をイエス様の前に素直に投げ出し、また明け渡していくことです。自分と人とに向き合う新しいあり方を身に着けていくことをいいます。それは知識や学識、知的な理解によるのではなく、神様の前に謙虚になり、「幼子のように」自分の感情を正直に認め、受け入れることから始まります。それが自分の心を縛っている古い価値観や先入観、偏見などから自由にされ解放されていくことにつながるのです。そのとき、私たちは、イエス様から示される「柔和で心が低く謙遜な」生き方を見出すことが可能になるのです。
イエス様が呼びかけていること、それは、様々な困難な状態にいる人たちに、あるいは何かの生き辛さを感じて問題を抱えている人々に、「わたしに従って、自分の人生を生き直しなさい」ということです。新しい価値観を持って、世界を新しい目で眺めて、歩みなさいということです。
「わたしのもとに来なさい。労し、重荷を負ったすべての者たち。そうすればこのわたしが、あなたたちに安らぎを与えよう」。
この言葉は、そうした問題や課題を抱えた人たちにこそ向けられています。
生き直すことはできます。人が、イエス様の示す新しい生き方に従うとき、「イエス様の新しい軛」を背負っていくとき、誰にでも、いつでも、その可能性は開かれています。目の前の課題や問題、困難はこれからも続くでしょう。でもその大変さをイエス様は、その「イエス様の軛」を負う私たちと一緒に、分け合いながら担い続けてくださいます。
だからこそ私たちは安心して信頼し、それこそ「安らぎを覚えながら」、私たちの人生の道を、それこそ「生き直す」ことができるのです。
だから、自分を変えたいと思い、自分の道を見出したいと思っている人は、イエス様の招きの声に耳を傾けていいのです。
2020年6月28 日 (聖霊降臨後第4主日)
「あなたが花束」
マタイによる福音書
10章40節~42節
「花束」という歌があります。サンボマスターというバンドが、歌っています。歌詞の内容は、次のようなものです。
歌い手は、「あなたに」花束を届けたいと歌います。
「この花束を あなたに贈りたいんだ」/「この花束を 今すぐ届けたいんだ」と歌います。
それは、その相手を励ましたいからです。
「あなた」は、泣いているんでしょうか。落ち込んでいるんでしょうか。どんな状態にいるのかは分かりません。でも、歌い手は、「あなた」が「アスファルトの固さを つき破りだして/のびてく草木のように 強い君だったはずさ」と信じています。
歌い手は、「あなた」が「ぬくもり取り戻せる人」であり、「愛しさ抱きしめる人」だと「昔から気づいていた」のです。「あなた」のもともと持っている強さを信じています。だから「くよくよするなよ」 と、「あなた」に呼びかけるのです。その「あかしに」花束を、「いろんな色の」花束を贈りたいというのです。
歌い手にとっても、たぶん「あなた」にとっても、今まで歩んできた人生は、「たくさんのさびしさ悲しさを/抱きしめ」て、「たくさんの捨てちまいたい/夜を数えた」ものだったようです。けれど、それを歌い手は変えたいと思っています。
「あなた」に花束を贈ることで、歌い手はその状態が変わると信じています。
「今あらたな 想いがうまれそうさ/今あらたな 想いがうまれそうなのさ/気づかずに過ごしてきたのさ 今まで」。
その気づかずに過ごしてきた「あらたな想い」を伝えるために、花束を「あなた」に送りたいと思うのです。「まだ間に合うだろうか いやきっと間に合うはずさ」と期待を込めて。
歌い手は「この世には たくさんのさびしさ悲しさが/あふれてるけど それでも生きようよ」と、「あなた」に呼びかけます。花束はそのあかしなのです。
そして、次に、実はその「あなた」自身が、歌い手にとって花束である、といいます。「あなた」の存在そのものが歌い手「わたし」にとって、花束なんだと歌います。
「あなたは花束 さびしさにさよなら 大丈夫なんだから」「あなたは あなたは 花のように咲きほこる人」「あなたが花束」と。
この曲のプロモーションビデオの中で、「今あなたが花束を贈るとしたら、誰に贈りたいでしょうか。」という質問が、それこそ、いろんな人たちに向けてなされていました。
いろいろな答えがありました。「妻に」、「お母さんに」、「亡くなった母に」というのもありました。また「成人した妹に」、「認知症で頑張っている母に」、「この間結婚した友人に」、そして「死んでしまった犬に」というのもありました。
自分を支えてくれた人、存在に対して感謝の気持ちを、あるいは励ましを伝えたいと思う。だから、花束を贈りたい。
そのとき、その想いの詰まった花束は、ただの花束じゃなくなります。想いを伝えたいと願うその人自身をその花束は表している。そして、もしその人が、自分自身で花束を届けるなら、その人自身が花束になっていく。
「あなたが花束」になっていくのです。
「あなたがたを受け入れる人は、わたし(イエス様)を受け入れ、わたしを受け入れる人はわたしを遣わされた方(神様)を受け入れるのである」(40節)。
今日の福音書の日課が示していること、そこには、二つの意味があります。
ひとつは、派遣される弟子たち、「あなたがた」を受け入れる人は、イエス様を受け入れるということを意味し、またそれはイエス様を遣わされた神様をも受け入れるということを意味するのだというのです。別な言い方をするならば、弟子たちは、イエス様の代理であり、また神様の代理にもなるというのです。それはまた、弟子たちと共に、キリストが、そして神様がおられるということをも意味します。
そして、この弟子たちは、派遣された場所によって、様々な役割や務めを託されています。
「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。」(41節)
「預言者」も「正しい者」も、弟子たち中で、異なった務めを担っている者を表しています。人が、その務めを担っている人を尊敬(リスペクト)の思いを持って受け入れていくとき、人は、神様から「報い」、つまり祝福と恵みを受け取るといわれています。それは、次の言葉にも表されています。
「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(42節)
この場合、弟子は必ずしも信仰の強い人、信念のある人、信仰深い人を意味しません。「小さな者」という表現は、その働きにおいて目立たない人であるかもしれません。世間の目からは、目立たない小さな務めをコツコツと果たしている人かもしれません。でもその「小さな者」を気遣い、ささやかな助けを与える人には、神様からの恵みと祝福が与えられると福音書は語ります。
弟子たちに向けて人が行ったことは、実はイエス様に向けて、あるいは神様自身に向けて行ったことになるからなのです。
二つ目の意味は、派遣される弟子たちが、神様からの手紙だということです。
使徒パウロが、コリントの信徒への手紙二の3章2~3節でこう書いています。
「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、私たちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です」。
パウロは、誰かが書いた推薦状よりも、コリントの教会の人々、同じ信仰に支えられている会衆・信徒の姿こそが、パウロの行った宣教のわざを具体的に表現し、他の人々に対してパウロを推薦してくれているのだと語っています。コリントの教会員の生き方そのものが、推薦状となると語っているのです。
福音書の日課に戻れば、ですから弟子たちは、いわばイエス様と神様からの生きた手紙そのものだということです。
もちろん、だからといって、この場合、弟子たちが完全な存在であるという意味ではありません。
たとえば文字で書かれた言葉には、ある種の限界があります。ラインやメール、ツイッターなどは、言葉足らずになりがちで、誤解を生じることもあります。書き言葉は難しいと思います。その言葉を発した人の表情が見えないし、言葉に込められた思いの一部しか伝わらないもどかしさもあります。それでもていねいに書き綴られた手紙の文章は、書いた人の心を表します。
生きた手紙である弟子たちもまた、ある種の限界をもっていました。弟子たち一人一人の性格の違いもあるでしょう。育ってきた環境や経験も違いました。それぞれの言葉遣い、態度や振る舞いも違ってきます。まったく同じではありません。弟子たち一人一人が違った形で、異なったやり方で、イエス様の言葉とわざとを伝えていくことになります。熱く語る弟子もいれば、静かに穏やかに伝える者もいるでしょう。訥々(とつとつ)と話す者もいたかもしれません。でも、大事なのは、弟子のそれぞれが、彼ら自身が、生きた言葉なのだということです。手紙に書き手の個性が出るように、弟子のありようそのものが、伝え手である弟子の個性が出た手紙であるといえるのです。
弟子たちが神様からの生きた手紙であるとするならば、それは、現代の教会、私たちも同じです。私たち自身の存在が、そのままイエス様を表すことになるのです。私たち自身が神様からの、この世界への生きた手紙であるのです。
教会の私たちを見て、この世は、判断します。キリストの愛が、神様の心が何であるかを判断するのです。私たちもまた、この社会に、この世界に派遣されています。イエス様から、神様から、この世界に届けられる「花束」として。世の人を労り、慰め、勇気づけ、また神様の愛を伝えるために。
それが、弟子の使命です。
どうか現代の弟子である私たちが、イエス様が示す道を歩み、また神様のみ心に適った言葉とわざを行えますように。
2020年1月26日
「天の国は近づいた」
マタイによる福音書4章12~18節
韓国の詩人、金明植(キム ミョンシュク)さんが書いた「共に生きる町」という詩があります。
共に生きる町は ないんですか 共に生きる町は ないんですか
共に平和をつくり 共に生きる その町で
平和の花を植え 花のかおり共に かぎながら
貧しいものもなく 地位の高いものもなく その町で
平和の糧食共に 平等に分かち合い 小さな美しい夢を育てる その町で
私たちの労働が お祭りになる その日に向かって
共に生きる町 小さくても 美しい町
共に生きる町は ないんですか 共に生きる町は ないんですか
教えてください 教えてください 共に生きる町を
詩人は、「共に平和をつくり」「平和の花を植え」る町を探しています。花を愛し、貧しさも生活の格差もない町を夢見て、人と人が平等に生活に必要なものを分かち合い、「美しい夢を育てる」町を願う。その町では、自分たちの労働が、苦しみを意味するのではなく、「祭り」になる。そんな日を詩人は夢見ます。
その町に住んでいる人は、それぞれに様々な歴史を持って生きている。詩人は、その誰もがお互いに差別することなく、「人を人として」尊厳を認め合える、人が「共に生きる町」を探しています。「その町はないのでしょうか。この地上にはまだ出現していないのでしょうか」と。
この詩人が詠う「共に生きる町」は、二つのことを表しています。
一つは、彼が探している「町」は、現実にはまだ存在していないということです。彼が目の当たりにしている「町」の姿は、実際には、「共に生きる」こととは程遠い人々の日常です。生活の格差は依然としてあり、貧しさに耐える人たちがいて、働くことが苦しみに思えるような世界、一人一人が大事にされなくて、「平和」や「平等」という言葉が実は青臭く、甘っちょろい空想に感じられる世界に、詩人は生きている。
と、同時に、二つ目の意味は、彼は、その現実の中で、なおも「共に生きる」ことをあきらめない、ということです。人がその厳しい現実に打ちひしがれて、その場所に止まってしまうのではなくて、その境遇と状況を乗り越えていくことを、詩人は心から願っている、ということです。「町」は実現しなければならない、と彼は祈っているのです。
この詩が書かれたのは、1983年ごろで、その当時、明植さんは留学で日本に滞在し、東京の三鷹に住んでいました。彼は一時、私が学んでいた神学校の寮に間借りしていたこともあり、私と彼とは親しくなりました。
八〇年代、全国的に大きな運動が起こりました。「指紋押捺拒否」闘争です。永住権を持っているにもかかわらず、国内で様々な差別を受けていた在日外国人、特に在日コリアンの二世・三世の人たちがいます。外国人登録証への指紋押捺は、その差別の象徴的な制度でした。日本政府の在日外国人への差別的処遇と、人権を訴えるために、在日コリアンが中心となって起こしたのが、外国人登録証への指紋押捺の拒否だったのです。
このとき、明植さんもこの運動に連帯し色々な集会やデモに参加していたようです。八六年春、私が神学校の仲間たちと日比谷の法務省前での抗議デモに参加した時も、明植さんはそこにいました。
「共に生きる町」は、すでに活字になっていましたが、デモの参加者の一人がその詩二曲をつけたと云って、明植さんに聴かせていたのを今でもはっきりと覚えています。
明植さんの母国韓国の八〇年代は、朴正熙(パクチョンヒ)大統領射殺事件に続く光州での民主化運動の弾圧と虐殺から、この時もまだ全斗煥(チョンドファン)軍事政権が続いていました。
勝手な推測でしかないのですが、この詩を明植さんが詠んだとき、彼の眼には人権を訴える在日コリアンや在日外国人の姿と共に、母国韓国の民主化を求めている人々の置かれた状況が見えていたの
かもしれません。
いいかえれば、「共に生きる町はないんですか」と呼びかける明植さんの言葉が、やさしい言葉づかいと同時に、切実さを漂わせるのは、彼を取り巻いているその現実を見る目と、彼の祈りが感じられるからだと思えるのです。
「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから。」今日の日課のこの言葉をもって、イエス様はおよそ三年間にわたる宣教のわざを始められました。
「イエスは(洗礼者)ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。」
その宣言の時は、洗礼者ヨハネが逮捕された後でした。イエス様の公的な活動は、その時から始まりました。それは、あたかも、洗礼者ヨハネの活動を引き継ぐかのようでした。ヨハネが口にした言葉をイエス様は語ります。「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから。」
イエス様は、家族の住む故郷の村ナザレを後にします。そして、ガリラヤ湖畔のカファルナウムに拠点を移すのです。それはイザヤが預言したことの成就でした。
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の影の地に住む者に光が差し込んだ。」
「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから。」この言葉を語るイエス様の眼には、ガリラヤに住む人々の姿が映っていたことでしょう。
ガリラヤ、それは、首都であるエルサレムから遠く離れた地方です。地主のもとで働いている小作農とその家族たち、日々の暮らしに苦労している職人たち、病に苦しみ、また病ゆえに差別されていた人々、そんな現実の中で悩み助けを求めている人たち。そのようなたくさんの救いを求め願う男も女も、若者や子ども、年寄りの姿。それをイエス様は見ていた。そしてその現実を前にして、そこに集まった人たちに向けて語った言葉。それが、「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから」であったのです。
具体的な人々の生活を前に、イエス様が感じたのは、「天の国、神の国」すなわち「神様が公平と正義を持って支配する世界」から程遠い世界です。
不正義と不公平が現実にあり、苦しむ人々がいるという世界です。
それゆえに人々に必要なのは、「悔い改めること」「神様に向かって生き方の方向を転換すること」でした。
悔い改めるとは、ただ反省するという意味ではありません。自分の立っている場所を変えること、視点を変えることを言います。それは、自分の今の視点よりも下に立って見直すこと、低い場所に立って物事を見直すことを言います。視線を低くして自分の身の回りを眺めれば、世界は変わって見えてくる。そして、神様に向かって姿勢を変えること、生き方を変えていくことは、やはり世界を変えて見ることにつながるからです。
この「悔い改めること」を求めるのは、洗礼者ヨハネと同じです。しかし、洗礼者ヨハネが、天の国が到来することで起きる裁きを語り、いわば脅しの言葉をもって、「悔い改め」を迫ったのに対して、イエス様の呼びかけは異なります。イエス様の語る「天の国」とは、人を縛りつけている色々なしがらみや負担、「罪」の思いから解き放ち、自由にしてくれる時を意味します。「その日は、近い」とイエス様は語ります。いや、その時はすでに来ている。私(イエス)が地上に来たことによって、すでにそれは始まっている。そうイエス様は宣言しています。「天の国」は、私の、私たちの可能性としても示されています。「神の国はあそこにある、ここにあるというものではない。実にあなたたちのただ中にあるのだ。」というイエス様の言葉がそれを示しています。
「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから」という言葉には、それゆえに、イエス様が自分の周りに広がっている現実を見て、その現実は変えられなければならない、克服されなければならないと感じている祈りと、その日は決して遠くないし、不可能ではないという希望が込められているのです。
私たちは、主の祈りで、「み国がきますように、み心が天で行われるように地上でも実現しますように」と祈ります。神様の国が、神様の支配する国が、今来て下さいと祈るわけですが、その祈りは、イエス様の「悔い改めよ、心の向きを変えよ、天の国は近づいた」という声に応えようとするものです。「私たちもまた、神様に顔を向け直します。どうぞ、神様あなたのみ国を地上に実現してください」と願う祈りなのです。今、私/私たちが、目の当たりにしている現実をしっかりと見据えて、乗り越えたいと願うことなのです。
大阪の釜ヶ崎で働かれているフランシスコ会の本田神父は、イエス様の語る福音は、教会という枠組みの中だけにとどまっているのではなくて、世界のそこここで、色々な取り組みの中で実現しているし、しつつあると語ります。
それは、例えば、不当に扱われている人々の権利を回復する、ということであるかも知れません。人々の生活を経済的に縛りつけ、文句を言わせないようにする企業への抗議の中に見え隠れしているかも知れません。沖縄の基地の問題があります。福島原発の事故によっていよいよ浮かび上がってきた原発の問題。古くは足尾銅山の鉱毒被害、チッソによる水俣病などの公害問題があります。あるいは、福祉や教育を巡る問題が起こっています。
それらの問題に取り組む中で、「闇に座す民」や「死の影の地に座す民」、社会の外側(周縁)に追いやられた人々、闇に住む人々に光を当て、掬うことが目指されているとするならば、そこにイエス様の福音は、働いていると語るのです。
確かに、それらの問題は、未だ解決していません。その意味では、福音は未だ成就していないとも言えます。しかし、それらは、解決への予感をはらみつつ、そこに起こっています。そして、イエス様の教えとわざが、どのように、誰に向けてなされたか、を基準にして眺めて見るならば、私たちは、そこで起こっている福音の働きの可能性を、また実現しつつある福音を、見いだすことが出来るようにも思うのです。
「福音は実現しつつある。今実現する。天の国は近づき、実現するのだ。だから、悔い改めなさい。」この言葉は、私たちに問うています。「共に生きる町はないんですか/教えてください」と。
「共に生きる町はないんですか/教えてください」と呼びかける詩人の眼に映る風景と時代が、「小さな夢を育てる/共に生きる町」になるように求めていきたいと思うのです。
「み国が来ますように、み心が天で行われるように地上でも実現しますように」と祈り、行う者でありたいと思います
(2020年1月26日)